第九日  2003/8/24 コペンハーゲン(デンマーク)
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行程

コペンハーゲン  終日

事情調査内容  グレートベルトリンク視察(午前、午後)
説明者 Machiko Arai
●海峡大橋の完成がもたらした各種影響について

宿泊ホテル  RADISSON SAS ROYAL HOTEL
 ラディソン SAS ロイヤル ホテル
 п@45-3342-6000

二国間を結ぶ長大橋がもたらした市民生活への影響

今日は日曜日なので行政からの聞き取りは不可能である。そこで私たちは、現地に30年近く住んでいるという日本人・Machiko Araiさんと契約。デンマークから、実際に橋をわたりスウェーデン側におもむいた上で、Machiko Araiさんの案内にもとづき、さまざまな市民から直接話を伺うこととした。


海峡で分断されていた国家の一体化

デンマークはヨーロッパ大陸北部に突き出したユトランド半島とその東に並ぶフュン島およびシェラン島で構成されている。首都コペンハーゲンは、シェラン島の東端にあり、隣国であるスウェーデンとはオアスン海峡を挟んで16キロメートルしか離れていない。
津軽海峡が17.5キロメートルであることを考えると、興味深い。


国民と国土を海峡によって分断されてきたデンマークは、二つの島と半島をつなぐ海峡大橋構想を19世紀から幾度となく計画してきた。しかし技術的・経済的・政治的理由から、計画は日の目を見るにいたらず、100年が過ぎていった。正式に国策として決定されたのは、1987年。三分割されていた国土は1998年、陸路で結ばれたのである。
ちなみに、1987年当時におこなわれた世論調査では、計画に賛成と答えた国民は3割を切っていたという。
よく知られているように、デンマークは高福祉・高税率の国だ。今の日本のように、当時のデンマークにおいても、公共事業とりわけ道路に対する国民の目は批判的であった。
「フェリーが就航しているのだから、橋や道路は無駄だ」「高い税金を払っているのだから、橋をつくる金があるなら、福祉施設を充実させろ」などが、反対意見の代表であったようだ。


しかし大橋が完成し、ユトランド半島(国の西部)とシェラン島(国の東部)が陸路と鉄路で結ばれると、東西のさまざまな交流が活発化し、フェリー乗客も逆に増えるという現象が起きている。ルート両端の地域には企業が進出し、かつては東西それぞれの地域で固定していた就労人口も、積極的に行き来するようになったという。
もちろん、圧倒的世論が賛成になったと聞いた。


国と国を結んだ、オアスン大橋(進む北欧のEU化)

1998年に国内の分断されていた地域を橋で結んだデンマーク。乱暴かもしれないが日本に例えれば、北海道・本州・四国・九州がそれぞれ鉄路・陸路でつながったということだろう。

(写真は、自動車道と並んで走る鉄道の線路。その向こうは荒地のような人工島。こちらでは自然は時間をかけて復活させたほうがいいという考えが貫かれている)

デンマークにとって残された課題は、隣国スウェーデンとの間のオアスン大橋完成となった。両国政府は1992年、デンマークの首都コペンハーゲンと、スウェーデン第三の都市マルメの両都市を陸路・鉄路で結ぶことによる経済効果などをめざして橋建設の政府間合意に達していた。
総工費約220億デンマーククローネ(1クローネは、約18円)を投じる国家プロジェクトが目指した効果は、次の各点だった。

・国をまたぐ新たな都市圏が形成される。そのスケールメリットは計り知れない。
・コペンハーゲンのカストラップ空港は国際ハブ空港だが、利便性がより高まる。
・すでに完成しているデンマーク国内の海峡大橋をつうじて、スカンジナビア半島とユトランド半島が陸続きとなる。
・両地域には12の大学がある。コペンハーゲン大学やルンド大学を含む大学の連携は科学・文化・技術の発展に大きく寄与する。
・地理的には北欧と欧州の中間点に位置していることから、将来EUの要衝になりうる。EUの発展に寄与するとともに、北欧のEU化を促進する。


オアスン橋の概要

・完成 2000年7月
・全長 16キロメートル
・仕様 トンネル部分と橋梁部分からできている。デンマークとスウェーデンの中間海域に人工島をつくり、デンマークから島まではトンネル(3.510m)、島(4.055m)からスウェーデンは橋梁(7.845m)となっている。
・高さ 1.092m

デンマークには山が一つもない。そのためオアスン橋が、国内で一番高い建造物となった。

(写真は、デンマークからスウェーデンに向かう途中)

全体事業は、@デンマーク本土−フュン島(リトルベルト…1980年代完成)とAフュン島−シェラン島(グレートベルト…1998年完成)、Bシェラン島−スウェーデン(オーレスンベルト…2000年完成)の3事業からなっている。
 (1) リトルベルト
  全長○○○○m、道路・鉄道の併用橋
 (2) グレートベルト(全長18q)東西2本の橋で構成
  ・西ベルト(2本の橋で構成されている)
   道路用(1997年完成)…桁幅25m 
   鉄道用(1994年完成)…桁幅13m
  ・東ベルト
   道路用(1998年完成)…全長1624mの吊り橋
   鉄道用(1998年完成)…海中トンネル(3510m)

事業がもたらした効果

(1) スウェーデンの優位性
・このプロジェクトの完成によって、スカンジナビアとバルト海沿岸地域の中心にマルメ−コペンハーゲンが位置することとなり、この地域の主要な仕向先に24時間以内に納品できるようになった。
・同時にスウェーデンに進出した外国企業は、あらゆる輸送方式、情報および資金の流れをカバーする高度に発達したインフラを利用できることとなった。またこのことによって、ITと電子データ(EDI)を活用した、優秀な物流産業が発達している。

(写真は、スウェーデン側から橋を背景に撮ったもの)

(2) オアスン地域の移動体産業の発展
このプロジェクトの完成により、デンマークのコペンハーゲン地域とスウェーデン南端部のスコーネ地域を合わせた「オアスン地域」は、IT・バイオ・食品・物流関連の産業・研究開発地域の集積が一層進んでおり、北欧第1の発展地域をとなっている。



市民の受け止め

両地域の市民生活は、オアスン橋開通でどうなったのだろうか。

(写真の彼は、タクシードライバー。コペンハーゲン在住だ)

彼は、橋が出来て便利になったし、将来スウェーデンに家を建てようと考えているという。デンマークよりずい分安いからだ。「でも仕事はやっぱりこっちだね。スウェーデンの給料は安いからな」と話してくれた。
この話はあちこちで聞いた。物価や賃金に関して市民はとても敏感である。
オアスン橋の開通が、働く場所や住む場所の選択肢を増やした意味は大きい。


(写真右の人は、ドイツからの旅行者。キャンピングカーを使って友人と旅を楽しんでいる)

車での旅は毎年欠かさないと言う彼らにとって、オアスン橋は魅力的だ。「家を出てから目的地まで、いろんなものを持って旅が出来るのは最高。今もあの橋を渡ってきたよ」と、満足げだ。
観光客の動きにも、橋は影響を与えているようだ。

橋を通じて、両地域の大学連携も進んでいる。文化融合だ。両地域はもともと、医療研究や企業が集積するところだった。利便性が高まったことで、ぞくぞくと関連企業が立地し始め、「メディコンバレー」と呼ばれるに至った。

医薬産業への進出は日本企業も参加している。つい最近も大正製薬が現地企業との契約を済ませたという話も聞いた。

しかし便利とはいえ、一回の通行料が5千円では、学生が毎日通えるものではない。緊急のときにすぐ帰れるという安心感が留学のハードルを下げている。ただし列車を使えば、両都市の中央駅間は35分で約1200円だ。札幌と千歳のイメージと似ている。

(写真の彼も、スウェーデンに実家があるが、コペンハーゲンの大学に入学している)


コペンハーゲン側、空港に隣接する場所に、幅600メートル、長さ5キロのニュータウン開発が進められている。
かつては何もない場所だったが、2002年から鉄道をはじめ各種インフラが整備されつつある。スウェーデン側のマルメ港、デンマーク側のコペンハーゲン港、そして空港、この三者は一体的な地域振興が進められ、将来はEUの有力な物流拠点になることだろう。それをみこしたニュータウンの建設は、将来EUが政治統合されたときの中核的都市圏になることだろうと、確信した。

(写真は、オアスタッド地区と呼ばれるニュータウンのインフォメーションセンターで、地域の将来を情熱的に語ってくれた地域のボランティア)


(写真は、オアスタッド地区の鉄道駅で列車を待つ市民。その風貌から旅行者かと思ったが、聞いて見ると、コペンハーゲンのシェフだった)

EU統合によるパスポートフリー、そして実際に行き来できるアクセス道の開通。確実に市民の生活は変わってきている。
彼によれば、マルメ(スウェーデン)は物が安い、だがアルコールは信じられないほど高い。反面コペンハーゲン(デンマーク)は、高いけれどいろいろなものがある。
それらを市民は上手に考えながら活用しているということのようだ。


(写真の彼はホテルマン。忙しいところを私たちのために30分ほど時間をさいてもらった)

彼の問題意識は、もっぱら通貨統合だった。オアスン橋の開通やEU参加は確かにいろいろな影響があったが、やはり決定的なのは通貨(ユーロ)統合にデンマークが参加していない実態をなげいていた。ユーロ参加は国民投票で否決したのだが、国民の意識は多様化していることを実感した。

北海道においても

オアスン橋を中心とするこの3大プロジェクトは、それぞれの地域の移動時間の短縮を実現しただけではなく、巨大市場としてのEUとの連携、旧農業国であったスウェーデンのITを中心とする産業構造の変化、北欧諸国のEU内における優位性の実現など、多くの成果を生み出した。
北海道においても、第5次全国総合開発計画にある北海道新幹線の実現だけではなく、「津軽海峡大橋構想」の実現も、北海道の新たな産業基盤の形成との観点から、検討を深めていく課題ではないだろうか。

もちろん財政状況や公共事業をとりまく厳しい状況を考えると、外国の例をそのまま日本にあてはめてものを考えていいわけではない。しかし、津軽海峡とほぼ同じ距離の二国間をつないだオアスン橋がもたらした現実を、目の当たりにした私たちが、「いつかは」という気持ちになっても不自然ではないのである。



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