第五日  2001.4.9  ローマ
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今日は移動日のため、メンバーも一息いれたいところ。
昨日までのドイツ系民族は、堅実的という形容詞が当てはまるが、今日からのイタリアは、その対極をなすようだ。

移動日

いよいよ最後の訪問国、イタリアへ出発するミュンヘン空港で。

空港の待ち時間を利用として、報告書をまとめる。

移動のたびに出てくる機内食は、体にきついものがある。

窓の下には、アルプスの山々が。


古代・中世と近代が同居

イタリアの首都ローマは、函館と同緯度に位置しているが、地中海気候のため、かなり温暖な街だ。春と言うよりは初夏といったところである。

古代・中世の遺跡が今も次々と発見されるローマ。我々も発掘作業中の現場に遭遇した。
しかも遺跡群と近代建築物が肩を並べている風景には、ちょっとした戸惑いを覚える。
イタリアが今の領土になった後も、地方意識が強かったが、都市計画法ができたのは、逆説的ではあるがファシズムの気運が高まった1942年である。
その後、1972年には地方分権が行われ、都市計画の権限が国から州へと移っていく。今後はさらに分権がすすみ、自治体単位の計画づくりが行われていくことになるのだろう。

地方分権の拡充と、イタリア全体の歴史的建造物をどう統一的にコントロールしていくかが、問われているという印象だ。

世界文化の中心をなす都市といえるが、市民生活は決して裕福ではない。
地方からの人口流入が続くが、パンク寸前の市財政のため、住宅行政はおろか、環境衛生施設の整備もかなり遅れているようだ。
アルバニアの難民を受け入れたが、職もないために社会問題となりつつあるという説明である。

ヨーロッパ中の、そして世界中の観光客を受け入れる国イタリア。しかし同時に、ツアーガイドから「泥棒に気をつけるよう」注意を促される国イタリア。
おりしもローマは、統一選挙直前であったが、政治が解決しなければならない課題の多さを実感した日であった。

都市再生へ

世界の先進国で都市は、旧市街地と新市街地が存在する。ところがイタリアの場合は、昔の街の中心が、今に引き継がれているという特徴を持っており、ローマも例外ではない。
存在感のある巨大遺跡群と、現代の高度な都市機能が共存しているとともに、多くの住民を飲み込める機能が備わっていることが、その原因だろう。

ローマ帝国の中心であった広場の遺跡は、そのまま保存されており、しかも同時に都心としての機能をさらに充実させようという都市政策は、新しい時代にさらに花開くという感じだ。

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