バイエルン州からザルツブルクへ(5月20日)
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戦災で壊滅したミュンヘンの古都復興


前都市計画局長のゲルハートさん(右)


興味ある街づくりに話はつきない


札幌講演の予定もあるゲルハートさん


死の湖を生き返らせた浄水場


世界初のリング状下水道管が


湖を囲む下水道管


処理場の責任者ブライラーさん


環境破壊に強いペナルティ
  早い朝食を済ませ、ロビーでミーティング。疲れはない。今日からは行政機関訪問なので、全員がスーツにネクタイ。同宿している日本人観光客の女性たちが、「あら、お仕事だったんですか」と。
  ミュンヘンの人は時間に正確である。遅れることは無論ないが、先に来て待っているということもない。我々は8時30分頃、市役所に到着した。約束の時間まで、30分程ある。早速、好奇心旺盛に庁舎の内外を見てまわる。仕事が始まる時間帯のせいもあり、皆忙しそうに歩いている。「勤勉なドイツ人」という表現が頭をよぎる。しかし庁舎は古い。極めつけはエレベーターだ。各階ホールの壁に長方形の穴が二つ並んで空いていて、その中を移動式の棚がゆっくりと動いていく。右の穴は下行き、左の穴は上行き。もちろんドアはない。ちょうど観覧車と立体駐車場を組み合わせたようなものである。職員は器用にそれに飛び乗る。ひとつの棚に2人づつ。日本人ならイライラするところだ。欧州の近代化が、歴史と伝統を大切にしながら進められてきた証の断片を見た思いがする。

活力と安らぎ―緑の街ミュンヘン
  我々を迎えてくれたのは、今年3月までミュンヘン市都市計画局長だったゲルハート・マイヘーナーさん。現職中を含め、街づくりの講演で世界中を飛び回っている人だ。日本にも何度も来たという。役人という印象はなく、専門家という表現が当てはまる。それもそのはず、ミュンヘンでは都市計画にたずさわる市職員は、大学時代にそれを選考したことが採用条件であり、採用後は他の部局に移ることはないという。
  スライドを使ったゲルハートさんのレクチャーと質疑など、およそ3時間に及ぶやりとりは、その後の我々の欧州視察の内容と方向を左右することとなる。
  通訳(写真左)をはさんだやりとりであり、かつ、多岐にわたる内容を短時間に要約したやりとりであったことから、ゲルハートさんの意図を我々が十分に理解できたとは言い難い。我々なりに受け止めたことは、およそ次のとおりである。
  まず第一に、ミュンヘン市の街づくりにあたっては、統一し、そして徹底した都市の設計思想が貫かれているということ。それは、前述したような担当部局職員のエキスパート化だけではなく、独立した建築家が街づくりに深く関与していることにも示されている。
  第二に、そうした街づくりは、地方分権にもとづき、ミュンヘン市が独自の計画権を行使して進められてきたということ。
  第三に、建造物の建設計画には、何重ものクリアーすべき段階が設けられているが、その中で二度にわたる市民参加が法的に保証されていること。
  第四に、当初はいろいろな障害があったこと。特に、政治家と投資家(ゲルハートさんはそう表現していた)の癒着によりものごとが密室で決まり、都市計画(行政)にそれが押し付けられていた時代もあったこと。しかし現在では、市民監視の目が強まり、都市計画(行政)、市民、政治家、投資家、メディアの五者が、それぞれの機能と役割を果たしなから、街づくりが進められていること。
  我々は、ゲルハートさんと話しているうちに、歴史と伝統と安らぎと活力が同居する、魅力あるミュンヘン市の秘密の一端に触れることが出来た喜びを覚え、再会を約束して、ミュンヘン市役所を後にした。

生き返った湖・テーゲルン湖
  昼食後、できることなら、ゲルハートさんの話を実際に体験するため、2〜3日滞在したい気持ちを振り切り、我々はオーストリアとの国境近くにある、バイエルン州テーゲルン湖に向かった。
  テーゲルン湖は、まわりを五つの町村に囲まれた湖であり、夏にはミュンヘンなどからも観光客が訪れ、水浴や日光浴を楽しむ観光地だ。
  我々を乗せたワゴン車が湖岸に到着したころ、あいにくの雨が降り出した。雨の湖もなかなかいいものだと、しばらく車窓から眺めていたが、どこか日本の観光地にあるそれとは違う。まるで、人間の出入りがない山奥にある湖の趣なのである。しかし、よく見ると、ホテルや別荘などの建物もあるし、散策路になった湖岸にはベンチなども置いてある。問題は、それらの物がまるで自然と一体化しているかのように、違和感がないということだ。もちろん高層建物など無い。車道も水しぶきがかかるような位置につくられている日本のそれとは違い、高い樹木に隠れるようにつくられている。
  このように自然と共にある観光地は、ヨーロッパでは簡単に探すことができるに違いない。我々がテーゲルン湖を視察先に選んだのは、他の理由があるからだ。実はここは、かつて、「死の湖」直前まで汚染が進み、富栄養化によるバクテリア汚染で水浴禁止が現実問題となった湖なのである。
  それがどうして、極めて短期間に生き返ることができたのか。世界最初の湖水浄化作戦はどのように展開されたのか。我々は大きな興味を持ちつつ、汚水処理場を訪れた。
  我々を迎えてくれたのは、処理場の責任者ブライラーさんと、技術責任者であった。
  彼らによると、テーゲルン湖は、1950年代に周辺5地区から流入される生活雑排水によって、富栄養化状態に陥った。観光産業によって生きてきた各自治体は、「湖の死は、産業の死につながる」と、湖水浄化をすることを決意。湖への汚水流入を防ぐと共に、汚水を浄化する処理場の建設を進めることが問題解決への道と結論づけた。その後、さまざまな経過を経て、州政府及び関係5自治体の共同作業として、湖を一周する世界初のリング状下水道建設が、1957年から始まった。困難な工法と、未開発の技術の試行錯誤を繰り返しながら進められた工事は、8年の歳月をかけて完成したという。
  その後、湖はみるみる浄化され、現在は完全な貧栄養湖として世界に知られている。
  しかし、こうした自然環境復活の背後にも、行政と市民の大きな努力が不可欠であった。法体系もしっかりしている。国の自然保護法にはじまり、各州単位、各市町村単位の保護条例と、地域に近づけばちかづくほど、その内容は厳しくなっていく。
  企業からは、「環境対策を進めれば経費がかかる。その分、合理化しなければならないので、失業者も増えるぞ」という脅しにも似た発言も、昔はあったという。
  市町村も規制対象だ。変わった例として、こんな話を聞いた。ある町の下水管が漏れていた。町ではそのことを知っていたが放置していたばかりか、町議会で、修理に町費を使わないことを決議したのだ。市民から訴訟が提起され、町は敗訴した。この後がおもしろい。先の議決の際に、町費を使わないことに賛成した議員に対して、1,500万マルクのペナルティが課せられたという。
  市民の環境保全にかけた意識は非常に強いものがある。環境教育の実態についての質問に対する答えは、「最悪の状態が目の前に迫っていることを目の当たりにすることが、最大の教育です」であった。
  所長さんは笑いながら、「湖がきれいになったお陰で、魚が小さくなった」と言う。「それは、また別の問題があるのでは」という疑問を持ちつつ、この日の視察を終えた。
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