ミュンヘン市内及び近郊(5月19日) |
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ミュンヘン郊外で 徹底したゴミの分別が進む 歩行者天国の入り口にある噴水 省エネ古城 有名なノイシュヴァンシュタインだ |
欧州視察の初日はミュンヘンの朝に始まった。長旅の疲れもみせず、午前6時前には、それぞれ起床。各自、朝食前にホテル周辺の散策へ。 朝食後のミーティングで、ヨーロッパの第一印象を話し合いながら、「実のある視察にしよう」と、人目もはばからず、4人で硬い握手を交わした。 意気込んでみたものの、今日は日曜日。行政視察は明日からということで、この日は、市内及び近郊の独自視察に出発する。 優雅さ漂う大都会ミュンヘン ミュンヘンはバイエルン州の州都であり、ドイツの中ではベルリン、ハンブルクにつぐ大都会である。人口130万人を越えるこの街は、しかし他の100万都市のように「無秩序」や「煩雑」とは無縁だ。見事なまでに、緑と街並みが調和し、景観を損ねる看板の類はまったくない。建物の高さは、街を象徴する教会の尖塔以外は一様に統一されている。ゴミの分別収集も徹底されていた。かつて十数階建てのビルが中心部に建設されたが、十年の後、多くの市民からの不評もあり、オーナー自らが取り壊しを決定し、現在は五階建てのデパートになっていた。また、かつて社屋に取り付けられていた「メルセデスベンツ」の大きな看板も景観を損なうということから取り外されていたのである。 第二次世界大戦で、ミュンヘン中心部はほぼ壊滅したと聞くが、戦後復興にあたって採用された、古都復興という都市づくりの理念及び設計思想には、敬服するものがある。 同時に、街づくりが行政だけではなく、市民一人ひとりの強い自覚に支えられている点こそ、強調しておかねばならないだろう。 世界で初の歩行者天国 ミュンヘンの中心部には、かなり大がかりな歩行者天国がある。これは、1972年のミュンヘンオリンピックの時につくられたという。大都会の中心部に堂々と設けられた安らぎの場は、当時、世界の注目を集めた。渡欧する以前の調査段階で、見逃してはならないと決めていた都市施設のひとつだ。 実際に歩いてみると、なぜ成功したかがよく理解できる。日本によくあるような、商業施設中心の歩行者天国とは異なり、美しい商店が並び、樹木生い茂る広場があり、大道芸人が道行く人々を楽しませている。賑わいと静寂が不思議と共存しているのだ。ショッピングを楽しむ人、嬌声をあげながら元気に走り回る少年や少女、静かに憩う老夫婦、みんなが同じ場所にいるのである。 それらを可能にしている施設のひとつに噴水があった。空間を視覚的に区切り、さらに防音効果さえ持たせて、上手に噴水が配置されているのである。 中心部にオアシスを設けた大胆さの背後には、きめ細かい配慮がなされている。 翌日、市の幹部から、「ミュンヘンの歩行者天国は、商業コミュニティ、労働組合、教会、市民それぞれの共同作業によってなりたっている」という話を聞いた。 100年以上前の省エネシステム 夕刻、ロマンチック街道南端にあるノイシュヴァンシュタインという古城を訪ねた。バイエルン国王のルートヴィッヒU世が19世紀後半に築城したものだ。 我々の目的は、100年以上も昔に既に導入されていた各種省エネシステムの実体を視察することである。観光ガイドにはあまり紹介されることもないが、コージェネをはじめとする日本の新エネルギーシステム研究者の間では注目されているのが、この城の調理場だ。 当時のまま残っている調理場の中央には大型のストーブがある。一回から最上階までの温風による集中暖房をはじめ、温水の出る給水設備など、世界の先端をいく技術と言える。また、壁に埋め込まれた煙突の廃熱を利用して食器を暖める工夫は、現代にも耐え得るものだろう。驚かされたのは、上昇廃熱風により羽根車を動かす、全自動による回転鳥獣グリルの存在だった。これはレオナルド・ダビンチの発明によるものである。 当時の王侯貴族の権勢を象徴するためであったとしても、古城とは暗くて寒いものという先入観を一新させるシステムに出会い、温故知新の感を強くしたもののひとつであった。 |
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