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人の目は、遠くのものならどこまででも見とおす力がある。
 どんなに遠くても、焦点距離を合わせられるようになっているからだ。

 「うそ言うな。月のクレーターが見えるか」と反論されそうだが、それは遠くなると小さくなるので見えないと感じるだけである。
 天体望遠鏡を使えば、月のクレーターははっきり見える。望遠鏡は像を拡大してくれるが、眼に近づけているのではない。だからもし、月が今の何十倍も大きかったら、肉眼でクレーターの様子を観察できるのだ。

 ところが人の目、近いところはいたって苦手だ。どんなに目のいい人でも、目の前に指先を近づけたら、指紋はおろか、指の輪郭さえぼやけてしまうことは、やってみればすぐにわかる。
 ここまでは視力の話。

 では視界はどうだろう。
 顔は正面を見たままで、両腕を真横に伸ばして欲しい。この状態で両方の中指が見える人は、トンボのような複眼の持ち主だろう。
 そんな人はいない。
 ところが手首を前に折り曲げて、指をヒラヒラさせると、その動きを察知できるではないか。つまり水平方向には、限りなく百八十度に近い視界を人は持っているのである。

 今度は右手を上にあげ、左手を下にさげてみる。横のときと同じように、手首を曲げてヒラヒラさせても、よっぽど指の長い人は別として、その動きは視界に入ってこない。少しづつ腕を前に向かって閉じていく。園児がお遊戯でワニの口をやるように。ワニの歯が見え始めるのは、わりと角度がついてからだ。
 垂直方向の視界が、水平方向に比べてかなり狭いことがわかる。

 上下左右、遠近。ひとつの眼でもずい分と得手不得手があるものだ。だが機能が違うことを自覚していれば、なんとかなるものである。
 江戸時代、横から飛んでくる手裏剣をよけるのが上手いばかりに、視界の広さを過信し、真上から落ちてくる石で命を落とした忍者も多かったかもしれない。

 中小企業が苦労している。銀行は貸し渋りどころか、貸し剥がしまではじめた。老後や雇用の不安があるので、消費者の買い控えも進んでいる。経営者は前後左右から攻められているのだ。
 自分の弱点はなにか、得意分野はどこかを一度振り返ってみることも大切かもしれない。それをしないと、見えるのに見ようとしなかったり、逆にどんなにしても見えないものを見ようとしてしまいかねない。

 年をとると焦点距離を合わせる筋肉がおとろえて、老眼になる。メガネを忘れたとき、テレフォンカードの小さな穴から文字を覗くと、はっきり見えることを教えてもらった。手品のようであり、感動ものだ。
 焦点距離を補正しているだけなのだが、こんな小さな穴から、明るい未来が見えるようだ。