見慣れた通り道に、ある日突然、「洋館」が現れた。
コテの跡が残る土壁や、日本離れした丸い窓、屋根の形も地中海を思わせる。「こんな建物あっただろうか」、考えているうちに信号が青になった。思い出せないもどかしさは消し去られ、現実に舞い戻る。
すでに「洋館」のことは、頭の片隅にも残っていない。明日は静岡に向かう。地域で取り組む地球温暖化防止対策について意見交換をするためだ。
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温暖化対策で知られる静岡県にも、ここまでくるのには、いろいろな苦労があったこと知り、たくさんの収穫を得て札幌に戻った。「人間は効率を優先しすぎではないのだろうか」などと、視察の報告を兼ねて議論している最中に、突然思い出した。「そうだ、あそこには朽ちかけた住宅があったんだ」。記憶の回復は、いくつもの図形を組み合わせ重なったところの面積を求める問題が解けず悔しい思いをしながら、次の日、ふっと答えが閃いたときの喜びに似ている。
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草は伸び放題、窓には板が打ち付けられていて、今にも押しつぶされそうな廃墟。戦後すぐに建てられた、どこにでもある木造住宅である。
記憶はどんどんよみがえる。形は違うけれど、窓の位置はそのままだ。屋根も尖らせたのだろうが向きなどは昔のままである。「やっぱり間違いない」。まるでエジプト王のミイラが、時を経て王子様として生まれ変わったみたいだ。
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廃墟は、お洒落な洋食屋さんに変身しつつある。しかもリメイクは若い数人の男女が進めているではないか。玄関前の木に「近日オープン」の張り紙を貼ったことすら忘れているのかもしれない。急がず焦らず、来る日も来る日も、夢を積み上げている。
工期に追われ、効率を至上命題とする近頃の風潮にあらがうようでもある。
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18世紀の産業革命以降、地球温暖化は必然として進んできた。そして今、便利さの代償に温暖化は人類を滅亡へと誘う。
文明を捨てロウソクの時代に戻れとは言わない。しかしロウソクの灯がかもしだす安らぎを、もう一度見つめ直すことが、地球を救うヒントかもしれない。
完成したら、片隅のテーブルでワインでも飲んでみようか。