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建設委員会道外視察  2002.5/14-16

信州からスタートする視察に行ってきた。
長野県安曇野には、思い出がある。
高校時代、仲のよかった友人、染野正行が、
筑波大卒後、「自然の中で暮らしたい」と、長野に就職。

「いいところだぞ」と、案内してくれたのが、
安曇野だった。

高校の時、歴史授業の中身に反発し、
白紙の答案を出して、教師を慌てさせた彼は、
県庁在職中、30歳を前にして、
脳腫瘍のため他界した。

山を誰よりも愛した染野の声が、
四半世紀の時を越えて、聞こえてくるような
そんな山道をバスは走る。


脱ダム宣言で、中断の浅川ダム  5月14日



さあ、二泊三日の視察スタートだ。右に座っているのは、建設部の谷口総務課長。

新入社員さんなのだろう。ガイドさんは、マニュアルを読みながらのたどたどしさ。
ま、観光旅行でないから、いいか。

さすが信州。いけどもいけども深い緑がつづく。

さっそく浅川ダム建設予定地で、長野県ダム担当者から、工事の進捗状況や、田中知事の「脱ダム宣言」及び、その後の経過などについて、説明を受ける。

建設予定地から下流を見ると、すぐそこに長野の市街地が。「だからこそ、ここでせき止める」という考え方もあるだろう。
しかし逆に、目の前にダムが出き、大量の水がいつも溜められていれば、地震などに対する不安は、拭えないのではないかという思いを持った。

浅川は、飯綱山を源流としている。山間部から平野部へと流れ、千曲川に合流する一級河川だ。
「命の水、恵みの水」として人々の生活を支えてきたが、同時に幾度もの災害を起こし、大きな被害をもたらしてきた。
田中知事の宣言で、工事は中断。各方面の知恵を出しながら、あるべき結論を模索中だ。

建設委員長の高橋道議。彼は自民党だが、日本野鳥の会の古くからのメンバーであり、環境問題にも関心が強い。

視察に同行した、建設部総務課の佐々木主任。ちょっと見づらいが、右後方に「ダム予定地」の小さな看板がある。

予定地の奥には、長野オリンピックの時につくったリュージュ競技会場もある。
他の競技施設も環境に配慮しながら建設された。例えば、白馬のジャンプ台。山を削らずに、鉄骨をテレビ塔のように組み上げてスタート台はつくられた。

民主の岡田道議。

ウィンタースポーツだけで、年間に何百万人もの観光客を受け入れる長野県。観光資源の開発は、景気浮揚に効果的だが、環境との調和も大切だ。

永井、中里の両道議。

信州名物なのだろう。晩ご飯は、湯葉料理を食べた。とってもヘルシーで、なかなかいける。
これは、食べず嫌いだったのかも。

ダム問題をはじめ、知事と議会の間でなにかと揺れている県庁舎と、県議会庁舎(左側)。
初日の宿泊先は、この向かいのホテルだった。



クロヨン(黒部第四)ダム  5月15日



犀川は、浅川と同じように最後は千曲川に合流する川だ。流域にはいくつものダムがあり、東京電力が水力発電をおこなっている。日本の地形特性から、水力発電が国策として推進されていたことを、かいま見る思いだ。

北アルプスが見えてきた。雪が融けて、地肌がいろいろな形に見えてくると、「そろそろ田植えだな」となる。農事暦なのである。左に見える「カシマやり」は、猫の耳がツンツンとしているようで特徴があると、ガイドさん。

国土交通省所管の「道の駅」に隣接して、農水相の中山間事業による、農家産直スペースが人気を呼んでいる。
なかなかいいね、と小野寺道議。

とにかく峠の多い県だ。山あいには自然の藤が咲き乱れている。
人が踏み込まない地かと思えば、すぐ隣の小さな平地に棚状で田圃をつくっている。先人のたくましさを感じる。だが、たくましさだけではない。段状の田には、満月がすべて映る。これを人々は、「田ごとの月」といって楽しんだらしい。

年間一億人の観光客を呼び込む、秘密を見た。

さあ、黒部は近い。バスはここまでしか入れない。ここから先は、トンネルの中のトロリーバスだ。
マッターホルンの登山口、スイスのツェルマットが環境保護のため、電気バスを運行していたのを思い出す。

トロリーバス乗り場には、当時の建設風景が。実は、ダムそのものよりも、ダム現場へのトンネル工事が難関だった。

トロリーに乗り込む佐野道議。

レールはないが、一車線のため、対向車をやりすごすスペースがある。
トンネル途中には、「ここから富山県」の標識も。

戦後の深刻な電力不足を背景として、クロヨンは、つくられた。
延べ一千万人、当時の513億円、そして犠牲者171名を出して、ついに黒部第四ダムは、関西電力の手により完成した。

10キロ下流には、国会議事堂と同容積の地下発電施設がある。今でも、25万8千キロワットの発電を担っている。

当時は、電源が多様化している時代ではなく、戦後の経済復興を支える電力が圧倒的に不足していた。

写真は、議会議事課の板谷主査。

背後の山には、雪がある。左から、井野、佐野、岡田の各道議。

建設委員会の副委員長をつとめる佐藤道議(右)と。

自重9トンもある、このバケット8基で生コンを運んだ。

命がけの作業が連日続いた。

クロヨンを後にし、立山連邦の2千メートルを超える部分を貫くトンネルで、日本海側にでる。トンネル駅までは、ロープウェイとケーブルカーをのりつぐ。

リゾートホテルとしては、日本で一番高いところにある、「ホテル立山」の支配人から、厳しい気象条件のなか、快適な室内空間を維持する建築設計、及び維持管理設備の説明を受ける。

この支配人、自然を愛する環境派。富山県が昭和49年から制度化している、「富山県自然解説員」でナチュラリストの資格を持っている。

ホテルも経営する観光会社の創始者は、有名な登山家であり、自然派であった。「アルペンルートとして富山と長野を貫きたい」という思いから、「観光」とは言わず、「貫光」と呼ぶところがユニークだ。

ナチュラリストの案内で、道路開発と環境保全の実際について、視察する、自民・民主・公明・共産の超党派メンバー。手前左が、共産の山根道議。

立山連邦の懐につつまれるホテル。以前はホテルの厨房で加工していたものも、できるだけゴミを減らすために、ふもとで加工してから持ってくるようにした。

ホテルと廊下でつながっている、立山自然保護センター。
これからは、環境問題を抜きにして、開発は進められないということを具体的に示している。

だからこそ、氷河期の生きた化石と言われる雷鳥の棲息も可能なのだろう。


およそ一世紀にわたる砂防事業  5月16日



13万年前に、最後の噴火をした立山カルデラは、今も浸食を続けている。放置すれば、富山市が土砂に呑み込まれてしまうのである。

これを防ぐために、およそ一世紀にわたる砂防事業が展開されている。

カルデラ内を流れる川のあちこちに、砂防ダムが見られる。

30度から、60度の急傾斜のため、資材の運搬はすべてスイッチバック(前進後進の繰り返し)方式のトロッコでおこなっている。

普段は、穏やかに、人々に恵みを与えてくれる河川も、ひとたび氾濫すると、猛威をふるう。

自然との共生が不可欠な新世紀。どのような治水対策を選択すべきなのか。それぞれの土地や、環境にマッチした手法を、住民参加のもとで選択していきたいものだ。

そんなことを考えさせられた、いい視察であった。

2002年5月16日、記