経済委員会道外調査 2008/2/12〜15 HOSHINOTAKASHI


九州三県を調査・視察してきた。
自動車組立工場の誘致先輩地域として
学ぶことは多い。

また、成功している地域・商店街づくりについても、実際に見聞を
してきた。取り急ぎの、ご報告をお届けしたい。


北海道から鹿児島へ………2月12日(火)


 雪のない鹿児島空港。冬に札幌を離れると、「日本もひろいな」といつも思う。飛行機の座席にパソコンを忘れ、「東京から到着された星野高志様、お忘れ物があります。お近くの係員までご連絡ください」と場内アナウンスされた以外は、無事に到着した。

 車窓から見えた光景に思わず目を疑う。なんと道路わきに花が咲き乱れている。
 それぞれの地域には特徴があるから観光がなりたつ。札幌だって雪が降るから雪祭りに世界のお客さんが来てくれるのだ。
 観光産業振興も経済委員会の仕事のひとつ。・問題は、地域の観光資源をいかに大切にし、アピールするかだろう。

 日程のあらましについて、説明をする議会事務局の辻主査。視察先との事前調整をはじめ、いい仕事をしてくれる。
 このあと、私が委員長(視察団長)として挨拶をしたが、カメラマンも兼務なので、この時点の写真はない。

 「では皆さん、忘れ物などしないよう、有意義な調査をおこないましょう」

 全行程をつうじて、お世話をしてくださった熊本バスのガイド、氏家さん。「調査団」を「調査隊」といきなり読み違えていた。じゃ私は「隊長」ということになる。

 観光客相手でないので、少し調子が違いやりにくかったと思うが、飾らない性格で地域の歴史や特徴などを説明。みんな随分と助けられた。

いよいよ最初の調査地、天文館商店街に到着。写真は、4日間私たちを安全運転で運んでくれた熊本バス。さっそうと降りてきたのは、米田忠彦副委員長。

天文館商店街

 いきなり桜島をバックにした写真で驚かれたかもしれない。しかし、観光旅行に来たわけではない。実は、海を挟んでその手前に見える町並みこそ、このあと視察に訪れる「天文館商店街」なのだ。
 何本ものアーケードを縦横につなぎ合わせた一大モール街が、ここの商店街の特徴の一つと聞いている。アーケードは南国特有の直射日光を防ぎ、同時に桜島からの降灰対策にもなっている。
 ここ城山公園に立ち寄ったのは、桜島と商店街の位置関係を確認するためなのだ。なるほど、今も煙を出し続ける桜島は、目と鼻の先である。火山からの灰を防ぐために、商店街に屋根をつけるという発想は、全国的にもここだけだろう。右は留萌の石塚正寛道議。

 夕闇迫る中、「天文館」事務所へと向かう。写真では見づらいかもしれないが、100メートルほど先から、アーケードがはじまっている。

 鹿児島市中央地区商店街は、昔から「天文館」の名で知られている。かつてここに天文台があったことから、そのように呼ばれてきたが、行政地域名ではない。従って、「どこから天文館で、どこまで天文館なのか」は、明確な境はないが、それはさほど問題ではないようだ。

 11の単位商店街振興組合で、「中央地区商店街振興組合連合会」を結成していて、大型店に対抗して地域を守っていこうというわけだ。それが天文館である。

 快く私たちの調査を迎え入れてくださった、中央地区商店街振興会連合会(以下、「連合会」と略称を使わせていただく)の有馬勝正理事長。連合会は、様々なイベントの実施主体である「WeLove天文館協議会(同、協議会)」をつくっており、有馬さんは、協議会の会長も兼務されている。

 左側は、連合会の専務理事・児玉彰さん。右側が、協議会の専務理事・牧野繁さん。児玉さんは知恵袋、牧野さんは行動隊長と、たしかテレビの番組で紹介されていた。

 地域から1キロほどのところに「アミュー」という大型店ができ、商店街は大きな打撃を受けた。続いて、イオンの進出が決まる。「このままでは個人商店がだめになってしまう」〜そんな危機感をバネにして、天文館は結束を固めたのだ。
 県や市に対しても、「今はまだみんなで頑張っている。今のうちに対策を打たなければ、取り返しがつかなくなる」と支援策の充実を要請。向こう5年間の大型店出店が規制されるなど、行政との連携も進めてきた。

 結束は実を結び、イオンの影響はアミューのそれに比べると、大幅に小さくなる。売り上げは若干落ちても、閉店をするまでには至らず、空き店舗率は2〜3パーセントというから、たいしたものである。その背景には、以下報告するような並々ならぬ努力があった。理事長や専務理事の話に、感心しながら聞き入る私と、小樽選出の八田道議。

 「天文館に行けば、何かやっている」〜市民にそんなイメージを持ってもらおうと、協議会は次々とイベントを繰り出した。なんと、半年で30以上を実施したというから、そのバイタリティに驚く。
 その一つが「デパート競演」だ。商店街には老舗の山形屋と三越の二つの百貨店がある。両者はライバルであり、一枚のポスターやチラシに名前が一緒にのることなど、かつて考えられなかった。右の写真をご覧頂きたい。中央左あたりに、「デパートへ行こう」というフレーズがあり、その上に両者のマークが並んでいる。そればかりではない。それぞれのデパートに入っているパン屋さんの商品を三つづつ詰め合わせた「食べ比べセット」まで販売。山形屋の社長と三越の店長が、お互いに相手の店に行き、接客をしたのだから、市民も驚いた。「食べ比べセット」が販売と同時に売り切れたのは言うまでもない。
 協議会メンバーがこの企画を持ち込んだとき、二つのデパートは、「そんなこと出来るはずがない」と断ったという。パン職人さんにしてみれば、あってはならないことと思ったに違いない。ところが、商店街活性化に向けた事務局の情熱が、あってはならないことを実現したのである。

 「天文館フリーチケット」という取り組みも見逃せない。この事業に参加する商店は、協議会から50枚綴りを5千円で購入する。あとは、その店の扱いだが、おおよそ3千円以上の買い物をしたお客さんに、チケットをサービスするわけだ。

 もらった客は、天文館内にある30カ所の駐車場で、金券として使えるし、バス代の足しにしてもいい。バス料金は160円だから、買い物帰りは60 円で済むこととなる。好評であり、参加店舗も増えてきた。

 クリスマスのイルミネーションも凝っている。昔はそれぞれの店がやっていた。今もそうなのだが、点灯を一緒にやろうということになり、天文館に飾られた50万球が、カウントダウンと共に、一斉についたときの歓声は目に浮かぶようである。

 市交通局との連携もすごい。商店街には市電の停留所が3つある。ここで下車した人は電車賃をただにするという日を決めたのだ。
 この日、電停は人であふれ、いつもの2倍以上の人たちが天文館へと吸いこまれていった。
 交通局には後日、協議会が料金を支払う仕組みだ。なんとか割り引いてもらう交渉もしたようだが、赤字で悩む交通は難色を示し、正規料金を払った。初めての取り組みのため混乱を心配したが、混雑対策という嬉しい悲鳴以外は、トラブルもなかったから、好スタートと言える。今後は、交通局への支払い率なども課題になるのかもしれない。

 天文館は、電車通りを挟んで南と北に店舗がある。北は一般商店で、南は飲食街となっている。これまではあまり交流のなかった南北商店街だが、協議会の提案で「天文館大忘年会」を実行した。市民を巻き込んでの楽しい催しになった。

 昨年、「WeLove天文館」運動をはじめてから、連日のようにマスコミに取り上げられた。それだけ協議会のがんばりがあったといこうとだ。一つのイベントには平均で70万円の経費がかかる。企画会社に任せれば、もっともっとかかってしまうので、全部手作りだ。
 市民の、天文館に対する期待もふくらんできた。中でも商店街に映画館を復活させてと言う声が多いという。今、実現に向けて奮闘中である。

 さまざまな取り組みに、驚きと納得を繰り返しながら、予定の時間を大幅にオーバーしてしまった。思いつきやアイデアは、とても大事だが、それを成し遂げる実行力が大前提だというこうを痛感した天文館であった。日はドップリと暮れている。



鹿児島から熊本へ………2月13日(水)

京セラ鹿児島工場

 京都に本社をおく京セラは、グループ会社180社を抱える。グループ従業員総数は6万3千名を越える大企業。しかし歴史はまだ設立から50年しか経っていない。
 2日目の調査は、京セラの鹿児島工場だ。正門を入ると、広大な敷地に南国特有のシュロの木が並んでいる。
 京セラは、北海道北見市を含めて、全国に9つの工場をもっている。ちなみに北見の由来だが、かつて経営が厳しかったとき、支援をしてもらった人が北見にゆかりがあった。そんな縁もあり、北見工場立地となったという。

  50年前、京セラはブラウン管の中にある部品製作から事業活動をスタートした。セラミックを使った絶縁部品である。松下電器の注文をもらい、続いて日立に行ったら、同じ絶縁部品でも形状がまったく違っていた。それなら、お客さんに合わせて新製品をと開発に乗り出す。人が、社会が、世界がいま何を求めているかを、いち早くキャッチする社風は設立当初から変わらないのだろう。
  設立当時、社員28名だった。

  説明にあたって下さった工場長の尾上和幸さん。温厚な中にも、着実に歴史を積み重ねてきた自信が溢れている。

  京セラ北見工場の年間生産高は、およそ千2〜3百億円。主に携帯電話端末や光通信単結晶などを製作している。鹿児島工場は千百億円ほどだから、北見の方が少し多い。だが従業員となると、北見の650名に対して、鹿児島は4700名と圧倒的だ。1972年の工場創業時には130名だったから、その伸び方は注目される。

  県と市に納めている法人事業税は、県が約40億円、市が14億円と気が遠くなる額だ。さらに社員が納める個人住民税も約7億円というから、桁が違う。
  大型企業の誘致成功は、このような結果をもたらすわけだ。

 工場には、年間で数千人の視察者が訪れる。そのため専門の担当職員も配置されている。写真の女性もその一人で、総務課の上之園さんだ。議会事務局の辻主査も、事前打ち合わせで随分と世話になったという。

  企業もここまでくると、社会貢献や環境貢献は欠かせない。工場では、太陽光発電システムを導入し、二酸化炭素の排出量を大きく抑制している。
  その他、定期的に工場周辺の清掃活動や、植林活動なども活発だ。地域文化やスポーツにも深く関わるなど、ひとつのコミュニティを形成しているとも言える。
説明を聞く委員ら。

  社是は「敬天愛人」。天を敬い、人を愛し、社会を愛し、会社を愛し、国を愛すると言う意味である。
  たまたまこの言葉は、薩摩の人・西郷隆盛の遺訓だが、京都に本社がある京セラがこれを社是にしたのは、鹿児島工場が出来る前だから偶然だろう。

  世界に展開されているグループの2007年連結売上高は、なんと1兆2千八百億円を越える。しかしどんなに大きな会社も、はじめは零細企業だった。しかも京セラの場合、たかだか50年前の話である。

  ギリギリの状況にある北海道経済にとって、大型企業誘致は魅力的であることは間違いがない。しかし併せて、道内企業の育成をサポートし、将来の道州を資金面で支える企業群及び人材を育成していくことをおろそかにしてはいけないことを、世界に飛躍する京セラを訪問して感じた。


熊本から福岡へ………2月14日(木)


ホンダ熊本製作所

  敷地面積51万坪、なんと東京ドーム38個分の広さを持つ熊本工場は、本田技研が全国に展開している工場の中で、最大だ。実際にオートバイをつくっているラインも、気が遠くなるほど長い。従業員も正社員、派遣労働者、パート職員を含めて、約3千8百人にのぼる。エンジンや本体はここでつくられるが、小さな部品はそのほとんどが協力メーカーから納品されている。その末端まで勘定にいれると、いったい何人の雇用につながっているのか、大変なものである。

  建物に入ると、いきなり機械油のにおいが鼻につく。しかし工場は極めて清潔だ。真っ白な作業服にも創業者の理念が反映されているという。つまり、「自動車やバイクは人の命にもかかわる製品だ。人の命を扱う職業は例えば医師がそうであるように白衣を着ている。だからホンダの工場社員の服は白にする」ということらしい。

  工場内は写真撮影が禁止されている。撮れるのはここまで。玄関ホールには、ホンダの製品が展示されている。上下の写真は、隠し撮りしたものではなく、パンフレットからスキャンしたものなので、念のため。

  写真は、経済部総務課主任の生田裕さん。随行員の中では一番若く、テキパキと調査活動をサポートしてくれた。

  見ているうちに、次々とバイクが組み立てられていく。その光景は、一種の感動を与えると同時に、ものづくり産業の威力を見せ付けられる思いだ。塗装からプレスなど、コンピュータ制御された機械(ロボット)が次々と製品をつくりだしているが、やはり最後の微妙な工程は熟練した人間の手によらなければならないことも見て取れる。

  会社は自らの事業展開をするだけでなく、地域との連携にも力を入れる。広大な敷地を地域イベントに解放したり、子どもたちにものづくりの楽しさを知ってもらういくつもの企画を実施しているのだ。将来の人材育成にも役立っているに違いない。

  右は経済部の総務課長・尾山一夫さん。左は企業局発電課主幹の岡泰広さん。
 課長は企業誘致に意欲があり、熱心にメモをとったりしていた。岡さんも、仕事柄あとで出てくるコージェネシステムに強い関心を示していた。

  作業工程などの改善提案を社員が競い合う仕組みもある。現場を知る人の提案こそ具体的だし、安全性の向上にもつながる。採用された提案には、いくつもの賞も与えられ、職場環境改善に社員の意欲もわく。

  なぜここに4日間運転をしてくれた熊本バスの運転手・藤川さんと、ガイドの氏家さんが登場するかというと。偶然にも、ガイドさんのご主人が工場で働いていて、社長賞を受けたとして写真入で紹介されていたからだ。

  左から、経済部総務課主査の安田仁文さん、労働委員会総務課主幹の山石祐次さん。その右の生田さんはさきほど紹介した。
  山石さんは、釧路の橋本道議が労働環境に関する質問などをしているときも、忙しくメモをとる。安田さんも、それぞれの訪問先で、議員が相手とやりとりをしている間を縫うように、各種質疑をしていた。議員だけでなく、随行道職員も成果を道行政の中に生かしていただきたいものだ。

 ここの工場では、オートバイや汎用エンジンをつくっているだけではない。家庭用のコージェネシステムも制作している。つまり、都市ガスを使ってタービンを回し、発電をする装置である。もちろん熱も回収されるから、極めてエネルギー効率のよいシステムだ。

 病院やホテルなどに導入されているケースはよく見るが、まさか家庭用が出回っているのは知らなかった。値段を聞いてみた。直接販売をするのではなく、東京ガスや大阪ガスに卸しているため、定価はわからないが、100万円前後ではないかとのこと。量産されることによるコスト低下を強く期待したい製品の一つに出会った。

  技術の本多技研と言われるが、機械化が進む中で、しかし同時に人間の力を信じたものづくりを進めている現場に立ち会った印象を持ちつつ、会社を後にした。

アイシン九州

  素晴らしい経営者にお会いできた。アイシン九州(株)の加藤肇社長だ。1993年、県の企業誘致に応じるかたちで、事業をスタートした。
  熊本県立農業大学の跡地に立地。校舎の一部を活用して95名で会社を設立したのである。トヨタグループの中核企業であるアイシン精機の子会社として産声をあげた。
  だがチャレンジ精神旺盛な加藤社長は、親会社からの受注だけに満足する人ではない。ものづくり企業は、「設計」「製作」「販売」の三段階からなるが、子会社として生きていくだけなら、製作に専念していればいいわけだが、それでは発展性がないというのが、社長の信念だった。

  愛知の本社に製品を納めるだけではなく、九州の自動車会社に部品を販売するという信念は貫かれる。親会社であるアイシン精機を経由しないで直接取引をする会社は九州を中心に20社となった。しかも従業員は、06年12月現在で、設立時の10倍、950名となったのである。

  社長がバイタリティいっぱいだから、社員も負けていない。右は営業本部営業調達部長の小田浩一郎さん。左は自動車車体系商品事業部製造部長の緒方史朗さん。
  主として、お二人に工場内を案内していただいたが、成長企業は、やはり人材に支えられていることを実感した。

  こちらは取締役で、電器・電子事業部長の池田哲夫さん。あとの方の写真に出てくるが、組み立て産業としては通じるものがあるにしても全く異質の液晶・半導体装置製作部門を立ち上げた。どんどん発想する加藤社長と、それを具体化する池田さんのような方がいるから、事業は拡大していくのだ。

  ドアフレームの溶接箇所を研磨した後の滑らかさを実際に示しながら、技術の確かさを説明してくれる緒方さん。研磨前の写真をお見せできないのが残念だが、その違いは歴然としている。溶接したことさえわからない仕上がりだ。
  実はこの工程、極めて難易度の高い作業ということもあるが、社員の間ではいわゆる3K部門として嫌われていた。

  ところが、仕事にポイント制度を導入し、ある工程を「一人でできる。段取りができる。トラブルに対処できる」などのチェックをクリアーした場合、数値で仕事が評価されるようになった。難易度の高い研磨工程は出来るようになると高ポイントを獲得できる。会社には正社員の他に期間社員もいるが、集めたポイントによって昇任するしくみになっている。
  期間社員が、正社員、主任、職長、係長となっていったケースもある。頑張った分だけ報われるという社長の信念は、ここにも見られた。

  ユニークな取り組みが、「現調化推進展示場」だ。アイシン九州が製作したり、愛知から持ち込まれる部品を展示している。一つひとつには荷札のようなものがついていて、そこに材質やその他の仕様、さらには発注金額まで記されている。
  地元の製造業者がここにきて、「あ、これなら俺でもできる」とか、「少しスキルアップして挑戦しようか」などと品定めをしていくわけだ。
  地元業者との連携、共存をめざしているアイシン九州ならではの取り組みだろう。写真は、部門責任者として説明する小田部長。私の左は留萌の石塚道議、右は空知の稲津道議。

  しかも、ただ会社を大きくしただけではない。誘致企業だが、いやそうだからこそ地域密着をめざした。広大な敷地につくられたグラウンドは土日には無料開放。もうずっと先まで予約が入っている。そして会社にはフェンスがない。閉鎖的な印象を与えないためである。起業家精神溢れる加藤社長が、今度は何をはじめるのか楽しみだ。

  アイシン九州の冒頭で説明した、新分野の液晶・半導体装置製作工場。自動車部門とは打って変わって静寂さに包まれている。
  九州はトヨタ、日産、ダイハツなどの自動車工場が集中しているカーアイランドであると同時に、ハイテクアイランドでもある。そこに着目した加藤社長の発想と、担当する池田取締役の手腕がなせる技だろう。



福岡から北海道へ………2月15日


(株)ふくや

  「道内の原材料を加工して付加価値を高める」〜その代表例にあげられるのが明太子だ。「北海道は植民地ではないのだから、本州相手に商売をする気概をもとう」と、私はあちこちで言ってきた。しかし今回、博多の「ふくや」さんを訪ね、川原社長にお会いして、自らの発言の軽率さを思い知るとともに、ものづくりにかけた情熱の素晴らしさを、感じさせていただいた。
  もちろんISO14001も取得している。

  玄関を入るとすぐに、アルコール消毒器がおいてある。誰であろうと、ここを通過する人は、消毒洗礼を受けなければならない。
  食品産業としては基本中の基本だが、はたして業界中そのことが徹底されているか。機会があったら調べてみたい。

  工場見学を担当してくださった諸熊さん。年間を通じてたくさんの視察訪問者があるのだろう。わかりやすく、とても丁寧な対応に、まず感心した。

  ここの視察を終えて工場を後にするとき、社長とともにバスが角をまがるまで玄関前で私たちを見送ってくれた。

  ふくや工場は、基本的にクリーンルーム内の手作業が主流だ。しかし梱包作業などには機械も導入されている。
  デパートで見る、お焼きつくり機のように次々と製品が完成していく。
  しかしこのように順調に製造が進み、博多を代表するものづくり企業として成り立つまでには、それを可能とした長い試行錯誤と努力が背景にあったことをしみじみと感じさせられた訪問である。

  年間の売り上げは、約120億円。60億が直営店、残り半分が電話、郵便、FAX、インターネットによる通信販売になっている。
  直営と通販、そう卸はいっさいしていないのである。それは今の川原社長のお父さん、創業者の変わらぬ考え方だった。その理由は次項で触れる。
  写真はクリーンルームで作業をする社員。ふくやさんがクリーンルームを導入した当時、食品工場で同様の設備を持つところはなく、せいぜい医薬品を扱う工場にあった程度だった。粘着テープとエアシャワーで徹底した除菌がおこなわれる。以前熊本では、名物のカラシレンコンで中毒が発生し、死人まで出す事件があった。今でこそ半分ほどは復活したが、事件後、カラシレンコン業界は壊滅状態になった。その怖さをふくやさんは創業時から知っている。

  なぜ、ふくやの創業者は卸をしなかったのか。その答えは三つ。
  @商売は現金取引が基本と考えた。終戦後、大陸から引き揚げた自分たちには余分な資金はない。
  A卸してしまえば、自分の手を離れてしまうので品質管理に責任がもてなくなってしまう。
  B直営店であれば、お客さんの声を次の商品作りに反映できる。
  つまり自ら作り上げた「明太子」に、そこまで愛着をもち、責任を持とうとしたのに違いない。では何故、そこまで思い入れた商品を商標登録しなかったのか。それは、次項で。写真は製造現場に見入る勝木道議(右端)ら。

  韓国の唐辛子づけにしたタラコにヒントを得て、日本人の口に合う味をつくりだすまで10年の歳月が流れる。「明太子」という名前も自分で考えた。普通なら商標を登録し、製法特許を申請しようと考えるだろう。でもそれをしない。何故か。先代は言ったそうだ。「これは珍味ではない、おかずだ。おかずならみんながつくればいい。登録なんかしない」と。

  結局この考え方により、次々と明太子をつくり、売り出す会社が博多に生まれ続けた。ドクター中松がフロッピィを発明したとき、「特許はとらない。しかし統一規格にするために自由につくっていい代わりに、規格は同じにすること」と言ったのに共通している。

  工場見学の後に、試食をさせていただいた。文句なく美味しい。

  お話をしてくださった社長の川原正孝さん。創業者の理念は今の会社の理念でもある。
  値引きはしないというのも、その一つ。曰く「交渉の上手い人が安く買い、下手な人が高く買われたのでは不公平です。だからはじめから適正価格をつけています」と。間違いなく元祖なのだが、それも言わない。「元祖なら売れるんでしょうか。美味しいから売れるんだと思います。だから味では決して負けるわけにはいかないんです」と、たんたんとお話しされる。見事な経営理念である。
  私は、「北海道はよい原料があるんだから、付加価値をつけてもうけよう」と、軽く言ってきた。しかし付加価値をつけると簡単に言えない努力と時間を、今回は教えていただいた。川原社長に深く感謝したい。

  通販対応の事務所。店頭であれ通販であれ、リピーターの客からは、いろんな意見が寄せられるという。「最近、辛さが弱いんじゃない?」などの意見が多くなると、「製品の辛さは今のところ変えていない。つまりお客さんの舌が辛さを求める時代なんだ」と、激辛ブームを予測することも出来たという。
  消費者の意見を読むのは、社長の仕事。そしてそれを新しい製品にしていくのは、社員全員の仕事なのだ。いい会社を訪問することができたと嬉しく思っている。

  副委員長の米田さんも、すっかり気に入ったようだ。大きなおみやげ袋を地元のみんなが待っている。
  そう言えば、視察終了後に昼食で立ち寄った天満宮にあるふくや直営店。「午前中、工場を見学させていただきました」と告げると、「それは本当にありがとうございました」と、心からのお礼を言われた。

  お陰で、清々しい気持ちで札幌行きの飛行機に乗ることが出来た。


経済委員会道外調査参加者名簿


参加委員
氏名 会派 選挙区 その他
星野 高志 民主 札幌東区 委員長
米田 忠彦 自民 千歳市 副委員長
八田 盛茂 フロンティア 小樽市
石塚 正寛 自民 留萌管内
橋本 豊行 民主 釧路市
須田 靖子 民主 札幌手稲区
佐野 法充 民主 札幌豊平区
稲津 久 公明 空知管内
勝木 省三 自民 札幌西区
随行道職員
氏名 役職
尾山 一夫 経済部総務課長
安田 仁文 経済部総務課主査
生田 裕 経済部総務課主任
岡 泰広 道企業局主幹
山石 祐次 道地労委事務局総務課主幹
辻 堅也 道議会事務局議事課主査



HOSHINOTAKASHI 経済委員会視察 2008/2/12〜15