HOSHINOTAKASHI


夢のきっかけ (2001.2/10)


 
「地下鉄では間に合わないな」、そう思いタクシーに乗った。わりと若い女性ドライバーは、経験二年だという。
 他愛のない世間話をしていた彼女が、突然口を閉ざし、背中に極度の緊張感を走らせた。

 小さな交差点を通過しようとした時のことである。

 相手のワゴン車は、一時停止を見落としたのだろう。あるいは、脇見運転だったのかもしれない。ごく当然のように、僕の乗るタクシーに向かって走ってくる。
 彼女は、小さな悲鳴をあげたようでもあったが、今、何をしなければならないかを必死に、そして冷静にさがしているようでもあった。

 敵は真横に迫っていて、仮にブレーキを踏めば衝突は間違いない。かといって走り抜けるためにアクセルを踏み込めば、路面状況からして、スピンをはじめ、何が起こるか予想もつかない。

 映画館のスクリーンから、観客席に車が飛び出してくる、そんな恐怖の直後、ワゴン車はタクシーの後ろを通り過ぎていった。おそらくその間隔は数センチとなかったに違いない。

 発見からニアミス終了まで、とても長く感じたが、実際には、二、三秒の出来事だったと思う。その間に僕の頭の中には、次から次へといろいろな光景が浮かんでは消えていった。

 出掛けに女房が、「道、滑るから気をつけて」と言った言葉。会議に遅れ苛立っている仲間のもとに突然飛び込む事故のニュース。衝突に巻き込まれる通学途中の高校生たち。かつて、同じように車の脇腹にぶつけられた友人の奥さんが、外車だったため無傷だったこと。ぶつかる場所によっては、ドライバーと僕では、怪我に差が出ること…。

 瞬時のうちに、さらに多くのことが脳裏をよぎったのだ。

 昔、かまどに薪をくべていた男が、つい居眠りをしてしまい、これまで過ごしてきた一生の夢を見たという。さぞや寝込んでしまったと慌てたが、薪の燃え具合からして、ほんの一瞬だったことを知ったらしい。

 寝ている間に見る夢は、不思議なことが多い。

 昼間の体験をきっかけとする夢は、あまり不思議でない。「きっかけ」が夢の原因だからである。不思議なのは、「きっかけ」が夢の結果となる場合だ。

 学生時代の、試験風景をたまに夢に見る。どうしても解けない設問に頭を抱え、時計と睨めっこしながら、結局は時間切れのベルが鳴る。そして目が覚める。
 夢の不思議さが、ここにある。試験終了を告げるベルは、実は目覚まし時計だったのである。
 目覚ましのベルを「きっかけ」に、何か夢を見るというなら不思議ではない。しかし夢の結論としてのベルが、「きっかけ」としての目覚ましのベルだったのてある。

 こう考えると、事故を目前にして脳裏をかすめた各種場面も、居眠りをしながら見た一生の夢も、原因と結果がさかさまになっている夜見る夢も、時間を追って見るのではなく、まさに瞬時に脳として認識するのかもしれない。

 最近、脳の働き、とりわけ記憶の伝達構造が飛躍的に解明されつつあるという。未知の世界にチャレンジする意味ではワクワクする。しかし同時に、恐いような時代でもある。

 ところで女性ドライバーは、目の前の危機をどんな判断と行動で、でクリアーしたのか。一番大切なところを、僕は聞き逃してしまった。

HOSHINOTAKASHI