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夜這い道 (2001.8/31) |
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「きっと、死ぬまで免許はとらないな」。
本気で僕は、そう思っていた。
京王線の千歳烏山駅裏に父の社宅があったせいもあり、都内ならどこへ行くにも不便を感じることはない。バス、地下鉄、私鉄、山手線に中央線、とにかく網の目のように公共交通が張りめぐらされているのだ。
もっともあの頃は、他人に言えないほどの単調な生活をおくっていた。行動パターンも限られていて、車を運転する必要がなかったのかもしれない。
あるいは、青学にスカイラインで乗り付ける友人に対しての、負け惜しみだったんだろうか。
「なに、運転できない?それじゃソロバンの出来ない女事務員みたいなもんだ」〜札幌地区労という労働組合のナショナルセンターに専従派遣された初日に、名物事務局長の洗礼を受けたのである。
こうして、以後十年に及ぶ地区労活動の最初の仕事は、三十路を超えてからの自動車教習所通いとなった。
かつて、庶民文化のひとつに、夜這い道路というのがあったらしい。
東北地方の背骨ともいえる奥羽山脈をまたいで、日本海側と太平洋側を結ぶ東西、つまり横の道路が何本もあったというのである。
男たちは、山の向こうにいる女たちを想いながら、険しい山道を往復したに違いない。
横の道が庶民の、あるいは民のそれなら、縦の道つまり、お江戸に向かう南北の道は、権力者あるいは官の道だったのかもしれない。
委員会視察で、留萌支庁管内に行ってきた。
留萌市をはじめ、一市七町一村が縦一列に並び、すべてが日本海に面しているという珍しい支庁エリアである。海と反対側には山脈が連なっていて、内陸の街々と遮断されているのだ。
九市町村を貫く縦の道である国道は、オロロンラインとして整備改修も進められているが、問題は横の道。
熊笹をかき分け、傷だらけになりながらも、女のもとに出掛けた男たち。そこには、信じられないパワーが秘められている。 夜這い道でもあるまいが、他の管内の街々との道路ネットワーク形成は、民間活力を生み出す源にもなるだろう。
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