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吊革につかまる転勤者 (2001.4/2) |
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父の十三回忌のため、久しぶりに内房線に乗った。
土曜日のためか、それともこのあたりは、いつもそうなのか、仕事関係と思われる乗客は、ほとんどいない。部活に向かうのだろう、大きなバッグを床に置き、パンを頬張りながら友だちとの話に夢中になっている女子中学生たちが、車内を明るくしている。
僕は昔、ボックスシートの列車に乗るとき、進行方向に向かって座るのが好きだった。新しい景色が次々と目に飛び込んでくるのが、たまらなく新鮮に感じるのだ。
東京のベッドタウンとはいえ、まだまだ田畑が続いている。
焚き火、こんもりした丘の小さな神社、棒を持って走り回っている子どもたち、あぜ道を走る相当古いトラック…ぼんやりと見ているせいか、「あれ、今のトラックにナンバープレートついてたろうか」などという小さな疑問を持っても、すぐに画面が変わるので、「ま、いいか」で過ぎ去ってしまう。
ただし、この位置だと、ホームで見送ってくれる人に手をふるとき、体をよじらなくてはならない不便さはある。
それがいつの日からか、今通り過ぎた道を見ながら、つまり反対側に座るようになっていた。
これはこれで、またいい。
突然、新しいものが視界に入ってくるという意外性はないが、一度とらえた画像は、ゆっくりと、窓の枠に消えてしまうまで眺めていられる。
落ち着いて、あるいはじっくりと、それが何であるかを確かめられる安心感を得られるのもこの席ならではだ。
転勤の季節である。この時期になると人は、飛び込んでくる新しい仕事を次々と覚えなくてはならないし、昨日までの仕事が何であったかを整理して後任者に引き継がなくてはならない。
空いていても不用意に腰掛けず、吊革につかまりながら、じっくりと前後左右を見渡し、自分がどこに座って何をするべきかを決めなくてはいけない、大切な時なのだろう。
さて、法事で集まった兄弟や従兄弟とは、しばらくぶりに話が弾んだ。
人生の一時期をいっしょに過ごしたという以外、利害関係のない者どうしの会話は、他愛もなく、それでいて、どこまでも楽しい。
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