HOSHINOTAKASHI


トイレのないマンション(2000.10/25)


  「発想は転換するためにある」、とある人が言った。私もそう思う。
  「トイレのないマンション」―原子力発電所のことだ。
  かつて、原子力の平和利用として脚光を浴びながら原子力発電は始まった。「夢のエネルギー」とも言われたものである。
  しかしその後、アメリカや旧ソ連における大事故をはじめ、日本でも各地で事故やトラブルが続出し、「夢」の裏側にある危険な側面が顔を出し始めた。
  しかも、問題は事故の危険性だけではなかった。原発から出される使用済み核燃料が、数万年にわたり放射能を出し続けるとんでもない存在であることが人々の間に知れわたり、しかもその処分方法が、いまだ確立されていないことも明らかとなったのだ。
 原発が「トイレ無きマンション」と言われるわけだ。
 全国の原発から出される廃棄物を、将来的に地層処分するというのが国の方針。そのために深地層における地下水の動向などを調べるというのが、今回幌延に国が立地しようとしている「深地層研究所」だ。

 北海道の地質は堆積岩である。
 世界各国でも地層処分が計画されているが、そのほとんどが花崗岩層や粘土層、または凝灰岩層や岩塩層であり、堆積岩層処分を決めている国はひとつもない。
 幌延で研究しなければならない科学的理由は見当たらない。

  国は、今回の施設には核廃棄物は持ち込まないとしている。
  知事も、将来にわたり最終処分場は造らせないと言う。
  議会は、「核」を道内に持ち込ませないことを宣言する条例をつくった。

  それでも、道民の間には不安が渦巻く。

  一般のゴミも昔は、「燃やして埋める」ということが常識だった。しかし、環境への影響やゴミ処分場の問題などから、最近では「ゴミの発生そのものを抑える」「むやみに燃やさないで、リサイクルする」という発想の転換が進んでいる。
  「核のゴミ」も同じだ。最近では、地層処分するのではなく、目に見えるところで管理しつつ、放射能を減衰させる研究も進んでいると聞く。

  忌み嫌うものは、見えないところに隠すのではなく、しっかりと見据えたままどう処理するかを研究すべき時だろう。

  そうした発想の転換が求められている。


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