HOSHINOTAKASHI


銭湯と缶ビール


 私は銭湯が好きだ。自宅から七十メートルくらいのところにある風呂屋によく行く。

 番台の奥さんは、もう何年も同じ年格好をしている。いつもうつらうつらしているのだが、最近は声を駆けないと起きないこともある。釣り銭用の百円玉や十円玉をたくさん積み上げての熟睡である。
 不用心と言えば不用心だが、それでも無銭入浴する人もいなければ、小銭をくすねる人もいないようだ。あくせくした世の中を後目に、そこでは昔の、ゆったりとした、おうような時間が営まれているのである。

  既に亡くなった父が、「風呂も高くなったよな。親子四人で百円かかる」とつぶやいていたことが、なぜか時々思い出される。あれはいつ頃だったのだろう。当時の物価を調べれば年代も推測できると思いながら、もう何年も経つ。当時は銭湯も盛況で、洗い場はいつも満席に近かった。子どもだった私は、手ぬぐいを捻って背中を洗っている年寄りたちの姿を眺めて、「いつか自分もあの年になるんだな。いつまでも今のままでいたいなー」と、随分ませたことを考えていた。しかし、「あの年」も、もう近い。

 それにしても一年が経つのは早い。一年は今も昔も三百六十五日なのだから、正確には「早く感じる」ということだろう。今年は確実に総選挙がある。忙しくなるだろう。その意味では、もっともっと早く感じるに違いないし、気づいたら一年終わってたとうことになりかねない。何かに打ち込めば、人生一瞬にして通過してしまうというのも腑に落ちないが、これも選んだ道だ。

 話は戻るが残念なのは、銭湯の三軒隣にあったコンビニが最近
移転したため、風呂帰りのビールが楽しめなくなったことである。

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