HOSHINOTAKASHI


納豆と豆腐(2000.10/29)


  僕は、納豆が好き。朝はもちろん食べるし、たまに行く寿司屋のフィニッシュも納豆巻きである。豆腐の方はと言うと、嫌いではないけれど…、麻婆豆腐くらいかな。

  ところで、「納豆」と「豆腐」は、どこかで名前が入れ替わったに違いない。豆を白い形に納めた物が「豆腐」で、豆を発酵させる、つまり、腐らせたものが、どうして「納豆」なんだ。

  世の中にワープロが登場してから、訳のわからない誤字が氾濫している。「初版本」が「初犯本」になったり、「駐車禁止」が「注射禁止」となることなど、まだ良い方だ。
  だが、ワープロのせいにすることも、よくある。「いやー、変換違いだったな」と。あげくの果てには、自分を棚に上げて、「この機械、頭悪いんじゃないの」と、くる。
  手書きの時代は、こんな言い訳は通用しなかった。「もしかしたら、君は、言葉の意味を間違えてるんじゃないのかな」などと、指摘をされたひには、どんな小さな穴にでも入ってしまったものである。

  先日、ある講演会の講師が、「袖すり合うも何かの縁なので、皆さんよろしく」と、話をはじめた。正確には、「袖すり合うも他生の縁」であり、これは仏教用語だが、前世からの因縁で「深い縁」という意味。おそらく彼は、よくある間違いで、「多少の縁」と思いこんでいて、それが「何かの縁」となったのだろう。

  ちょっとした勘違いと思いこみが、相手に与える強烈な印象として残ってしまうとしたら、そら恐ろしいことだ。きっと僕も、どこかで誰かに、同じ事をしているに違いない。

  さて、納豆と豆腐の話に戻る。納豆菌の効用が海を渡って知られ始めたらしい。日本語の名誉のために、今のうちに、言葉を入れ替えた方がいいのだろうか。
  しかし、カウンターで、「じゃ最後に、豆腐巻き頂戴」では、何とも奇妙ではある。

HOSHINOTAKASHI