HOSHINOTAKASHI


無言のメッセージ(2001.1/1)


 
僕は駅が好きだ。冬のプラットホームは、特にいい。
 到着する列車は、人や物だけでなく、見知らぬ街のメッセージを運んでくるからだ。

 空港行きのエアポートを待っていると、別のホームに、雪で真っ白に化粧をした特急が入ってきた。おそらく旭川方面から来たのだろう。
 車両の中は、家族連れの楽しそうな声でいっぱいだ。ふと台車に目をやると、びっしりと雪氷が付着している。走り抜けてきた氷点下の街の厳しさを、無言で伝えている。

 傍らから見ているので、暖かい車内と、それを支えている雪まみれの台車双方に思いを馳せられる。だが車内にいる人の中で、きしみ音をたてながら苦闘を続ける台車、さらにはその雪氷を除去する人たちの存在を、常に意識できる人は、そう多くはないはずだ。

 人は、自ら気がつかないところで、さまざまな人に支えられたり、逆に支えたりしながら生きてきたし、世紀が変わっても、その構図は変化しないだろう。

 人類は、鎖の輪のように相互に連環しながら、今新しい時代を迎えた。

 さて、話は駅に戻る。
 たいがいの駅、そして駅前広場は、日本中どこへ行っても、よく似ている。はじめて降りたった駅前で、「あれ、この風景どこかで見たな」という経験は、誰もがもっているだろう。
 高度経済成長下で画一的に進められてきた開発行為・街づくりの結果だが、面白くない。

 世界にはいろいろな駅があるが、最も有名なのはミラノ中央駅だ。駅舎そのものがひとつの美術館のようなこの場所は、一世紀以上にわたって、人々のいろいろな出会いや別れの舞台になってきた。

 別に、外国の駅づくり・街づくりをまねる必要はない。
 しかしどこにもない、自分たちだけの街を、自分たちのために、自分たちでつくっていく、そんな時代に、二十一世紀はしたいものだ。

いつも,ご愛読ありがとうございます。
今年も、よろしくお願いいたします。

HOSHINOTAKASHI