HOSHINOTAKASHI


セーヌ川も、なげうって (2004.9/15)


古い資料を整理していたら、一枚の似顔絵が出てきた。ずっと昔、まだ議員になる前に、初めてヨーロッパに行ったときのものだ。
当時を思い出して書いてみた。今回はちょっと長くなってしまった。ごめんなさい。



  仕事も終り、今日は一日パリ市内の見学だという。
  出国前から密かに計画していた日がやってきたわけだ。添乗員に「夜の会食までには戻る」と告げ、一人ホテルを出た。

  もとよりフランス語はチンプンカンプンだが、「ま、なんとかなるさ」。およそ根拠のないこの自信には、実は理由がある。昨夜、仲間と連れだって出かけた市内のカフェで、ジェスチャーを交えた片言の英語が、自分でも「ウソでしょ」と思えるほど通じた。「明日はなんとかなるぞ」と、ほくそ笑んだのである。
  午前中は無謀な「冒険」が続いた。やっとのことで地下鉄の乗り方を覚えた私は、いよいよ今日の目的地、モンマルトルの丘へと向かった。

           ※    ※    ※

  さて、誰に描いてもらおうか。ここは、将来パリで世に出ようという画家の卵たちが筆を競っているところと聞いた。どうりでみんな若い。そんな中にぽつんと佇んでいる初老の男性が目に入った。「どこかで見た顔だ。もしかしたら、名のある画伯が気分転換に昔を懐かしんでいるのかもしれない。なら、めっけもんだ。いや違う。札幌の自宅前に住んでいる私立高校の元教頭にそっくりなんだ」。これで決まり、声をかけた。

  まずは、「値段交渉も楽しみのひとつ」を実践しなければ。彼は周囲の若い衆と違って、あくまで静か。いや優雅でさえある。
  が、はたと困った。昨夜のカフェのようにいかない。つまりこの人、ほとんど英語がわからないのだ。まわりを見ると、若い画家たちは英語どころか、片言の日本語さえ話しているというのに。

  しかし、逆に元気も出てきた。お互いの自国語は通じない。そうすると共通語である英語が彼よりまともな私(ほとんど「旅の英会話」丸暗記組なのだが)は、交渉において有利ではないのか。
  まわりから見たら、まるで会話ではなかったと思う。とにかく、身振り手振り、値段交渉はもっぱら筆談なのだから。最初のうちは楽しんでいたこんなやりとりも、時計を見ると、けっこう時間をくってる。こりゃまずい。所要時間も交渉の対象にしなければ。

  経過と結果はつぎのとおりだ。
@彼の言い分。四十五分で、百フラン。
A私の言い分。三十分で、五十フラン。
B交渉の結果。三十分で、七十フラン。

  添乗員のアドバイスもあり、服装はほとんど現地人。ジプシーなんか見向きもしない格好だから、しとしと降り始めた雨なんて、まったく気にならない。
  気になるのは、いつになっても完成しない作品のほうだ。私の後ろを歩いていく外国人観光客は、描きかけの絵と顔を見比べて、一様に親指の腹を突き出す。きっと、「似ているよ」という意味なのだろう。
  「動かないで」という彼の制止を振り切り、時計を見てびっくり。結局彼が筆を置いたのは、書き始めてから五十分後だった。
  ディナーに遅れる。約束違反でペナルティだ。私は紙切れに、「五十フラン」と殴り書きし手渡した。対する彼の主張は、めまいがするほどすごい。
  それまでの優雅な雰囲気はどこへやら、恐ろしいスピードでまくしたてるではないか。最初は何を言っているのかわからなかったが、要するにこうだ。
  「自分は、三十分を七十フランで約束した。しかし五十分働いたのだから、せめて百フラン欲しい」というのだ。「騙された」と思った。こうなったら、何がなんでも引かないぞと、決意を固める。セーヌ川クルージングを諦めてでも交渉に勝ち抜かなければ。
  口から泡を吹くほどの勢いだった老画家の態度が少しづつ変化してきた。「どうして、わかってくれないのか」という目をしている。私は、ハッとした。騙していたのではなく、これは彼の、もしかしたらこの国の、仕事に対する考え方なのかもしれない。
  だからといって百フランを払ったのでは、私の労働観が崩れてしまう。ペナルティはなかったことにして、約束どおり七十フラン払おうと申し出る。彼も仕方なさそうにOKし、お釣りの三十フランを出す。逆に、「騙された」という顔だ。
  一度受け取ってから、「チッププリーズ」と全額手渡した。あのときの嬉しそうな顔は今も覚えている。

           ※    ※    ※

  この体験で、ルールと価値観は違うものだということを思い知った。
  例えば赤信号。パリの紳士淑女は、一人でも、堂々と赤信号を渡る。「赤は止まれ」は、どの国でも共通のルールなのだが、「暴走車が来れば、青でも止まる。逆に車も来ないのに、赤だからといってなんで止まらなければならないの」というのが彼らの価値観なのかもしれない。合理的な考え方だと言えばたしかにそうだ。

  でも、合理主義者がチップで納得してしまうあたりは、ちょっと不思議かな。

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