HOSHINOTAKASHI


国境の街-稚内


 「日本最北端の地」に行って来た。一度は見てみたいと思っていた利尻富士。そのための中継地、そんな軽い気持ちで泊まった稚内のはずだった。

  宿につく30分ほど前から、観光ガイドさんの様子が違う。「沖縄のひめゆりの塔に似た悲劇が、樺太でもありました。誰かが語り継がなくては、忘れられてしまう」-そう切り出した彼女は、終戦直後の8月20日、樺太は真岡で起きた交換手9名の集団自決の顛末を話し始めた。「戦争は二度と許すまじ。二度と許すまじ」最後のくだりは絶叫にも近い涙声。22名のツアー客は聞き入る。「楽しいご旅行の最中に、こんな話をしてごめんなさい。最後までおとがめも頂かずにお聞きくださり、ありがとうございました」。

  ホテルの部屋に行く前にタクシーを呼び、氷雪の門脇にある「九人の乙女の碑」まで行き、先ほどの話を心の中で繰り返した。
  「国境の街」を感じたのはその後である。夕食を済ませ、女房と二人で市内を歩くと、駅前商店街のアーケードからいくつもの千羽鶴がぶら下がっている。「この地では、七夕飾りは鶴なのかな」と近寄り、下がっている短冊を見て驚いた。どれも小学校名と学年、氏名が書かれているのだが、「戦争はイヤです」「平和に貢献できる人材になりたいです」「みんなで幸せに暮らしたいです」…。
  最北端の地、ということはつまり、国境の街と言うことを意味する。厳しい歴史を人々は生きてきたに違いない。

  バスを寄り道させ、西武の松坂投手の実家を通り、窓から手を振るランニング姿の「じいちゃん」に、あらん限りの愛想を見せたガイドさん。今日もきっと、愛嬌のある「語り部」になっていることだろう。
  こういう街から、民主党の道議を出さなくては嘘だ。


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