HOSHINOTAKASHI


記憶の入り口


 朝刊が来る前の玄関から表に出ると、冷んやりしたものを感じる。空も、かなり高い。道の先に見える手稲山が白くなるのも、もうすぐだろう。
 煙草の火を消して部屋に戻り、ストーブのスイッチを入れようとして、思い出した。
「壊れてたんだ」
 仕方なく、2000年問題で買っておいた簡易ストーブをガレージから引っぱり出し点火。
 もくもくっと、特有の煙が出た後、何とも言えないすすけた臭いが、部屋をいっぱいにした。
 目をつぶって、臭いを楽しんでいるうちに、私は、25年前にタイムスリップしている。四畳半一間のアパート。「家財道具」は、大家さんから借りた机と、ストーブがひとつあるだけだ。記憶はどんどん蘇る。バイト先の数人を除いて、この北海道で私が知る人は誰もいない。私を知る人も同程度だ。毎日することもなく、一日一冊と決めた文庫が山積みとなっている。

 臭いを臭いとして感じているうちは、蘇る記憶は、止めどがないのだ。

 汗の臭い、土の臭い、新緑の臭い、インクの臭い、紙の臭い、機械油の臭い、動物の臭い、碁石の臭いさえも、そこを入り口とする過去の記憶に連動する。
 思いがけず食べた鯨のベーコンの臭いは、決して裕福ではなかった、しかし楽しかった子どもの頃の食卓につながっていく。

 NHKが幌延特集を組んだ。画面には、15年前の私が大写しに。忘れていた自分である。15年先の自分を、予想することさえしなかった、その「場所」の自分である。当時の記憶への入り口は、何の臭いだろうか。

HOSHINOTAKASHI