HOSHINOTAKASHI


失われた記憶 (2001.1/22) 


 
その部屋はビルの四階、西向きのため窓からは手稲山のすべてが見えるところにあった。感動的な朝焼けにはじまり、時刻とともに、あるいは気象の変化とともに、さまざまな表情を見せる手稲山と、こんなにも、ゆっくりと向き合ったことはない。
 わりと存在感のある山であることを再発見した。

 目線を眼下に切り替えると、見慣れた街並みが並んでいる。普段とは違う角度から街を眺めるのも、たまにはいい。
 「あれ、あんなところに空き地があったろうか」。たしか、一週間ほど前に訪ねたときには、家があったはずだが。

 人間ドックのため、病院に一泊したときのことだ。

 いつも通る道で、突然建物がなくなっていることは、たまにある。昨日までは、あたりまえのように、そこにあったものがなくなっている。そして思う。「はて、ここには何があったっけ」。しばらくたって、ふと思い出し、苦笑する。
 ぼけたかな、と思い、友人に話すと、誰もがそんな経験を持っていることを知って、安心したりするのだ。

 建物とは、そんなものかもしれない。何年間見続けていても、さして関わりもなければ、忘れ去ってしまうものなのだ。

 道は、「NPO(非営利団体)サポートセンター」の建設を予定している。
 だが、そのセンターのイメージがよく浮かばない。すでに、市民の手によって、同種組織はつくられており、数多くのNPO設立を手伝ってきた。それなのにあらたに、しかも立派な器をつくるというのだ。なにか、サロンのようなイメージしかでてこない。
 いつの日か壊されても印象に残らないようなものでは、「無駄な箱物」と指摘されても仕方がない。
 そうならないよう、しっかりした議論が求められている。

 初冠雪によって、札幌市民に、冬がやってくることを教えてくれる手稲山。山の見える街に住んでいて良かったと思いながら、僕の一日はスタートする。

HOSHINOTAKASHI