HOSHINOTAKASHI


核戦争と青い鳥(2000.12/18) 


  久しぶりに、いい映画を観た。
  ケビン・コスナーの「13デイズ」だ。ワシントンを射程距離に入れた核ミサイル基地の建設がキューバで進められていることを知ったアメリカ政府。予想される攻撃開始まで13日間しかない。事前の空爆と侵攻を主張する軍部と対立しながらも、四十五歳のジョン・F ・ケネディは、司法長官を務める弟のロバート・ケネディ三十六歳、大統領補佐官ケネス・オドネル三十八歳とともに、「キューバ危機」を乗りきる。

  第三次世界大戦、人類が経験する最初で最後の全面核戦争は、ぎりぎりのところで回避されたのである。

  映画には出てこないが、ケネディは翌1963年、テキサス州ダラスで凶弾に倒れる。
  当時、僕は小学六年生だった。グラビアにあった大統領の写真を、丁寧に何枚にも破り、再びそれをすきまを開けながら再現して画用紙に張り付け、「夢は破れた」の見出しとともに、課題作品として学校に提出したことを覚えている。

  だれに影響されたのか、どんな気持でケネディ暗殺のニュースを聴いたのかは、まったく記憶にない。しかし、子ども心に受けたとんでもない衝撃が、その後高校大学時代を通じた反戦運動に僕を走らせたのは、間違いない。

  映画の話に戻る。息も詰まるような神経戦が繰り広げられているとき、ケネディはホワイトハウスの窓から、ふと、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿を見る。そこには、人類が直面している核戦争の危機とは、まるで無縁であるような日常があった。守らなければならない平和があった。

  脈絡もなく僕は、夏目漱石の「ガラス戸の中(うち)」を思い出した。大切なものは何か、それはどこか遠くにあるのではない。大げさに言えば、青い鳥を見つけた心境でもある。

 横路さんと鳩山さんが、憲法を巡って対立しているようだ。守らなくてはならないのは、平和である。

HOSHINOTAKASHI