HOSHINOTAKASHI


過去への旅 (2002.6/3) 

 映画「KT」を見た。三十年前に、実際に起きた「金大中」拉致事件をもとにしたものだ。

 当時、あちこちの大学のキャンパスには、「金大中の原状回復を」という大きな看板が、建てられていたものだ。

 阪本順治監督は、「政治的なドラマをやるつもりはなくて、娯楽映画にこだわった。僕の頭に浮かんだ映像は、グランドパレスの廊下で金大中が拉致されるアクション・シーンだけだった」と、語っている。本心なのか、それとも身の安全を守ろうとするカモフラージュなのか、分からない。

 あの頃私は、東映の任侠シリーズにはまっていた。終わって出てきたときには、肩で風を切りながら、まるで主人公になりきっている。
 「なりきってしまう」性格は今も変わっていないようだ。上映館を出て、狸小路を歩きながら路地があると、「拉致グループが飛び出してくるんでないか」と身構える自分に気づき、苦笑する。

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 視察で訪れた岐阜。バスの窓から、長良川の堤防がなにげなく目に入る。子どもたちが走り回り、老人が犬に引きずられるように、あたふたと散歩している。最近では考えられないような、のどかさが漂っている。「フーテンの寅さんに出てきた構図だなー」と、思いながらすぐに、「違う、ちがう。これはかつて東京で見た、いや過ごした風景だ」と気が付いた。

 時間をさかのぼらなくても、昔はそこにあった。遠く、どこまでも歩いていけば、そこには懐かしい思い出の世界が、現実のものとして存在している。
 もしかしたら、もう一度会いたいと想う、死んだオヤジに出会えるかもしれない。そんな錯覚とも確信ともいえる気持が体中に満ち、不用意にも胸が締め付けられた。

 人は、新しい発見を求めて旅に出るという。だけど本当は、まだ見ぬ地のその先に、限りなく懐かしい昔があると、信じているからではないのだろうか。

 KCIAが金大中暗殺を計画していたことを、当時の日本政府が知らないはずはない。自分の国で何をされようと、見てみぬ振りをするその態度は、中国総領事館における対応と瓜二つである。


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