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大の字に寝る仔猫 (2001.6/25) |
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ツクシが、スギナとして繁るのに時間はかからない。
砂利の間から生えて、おい繁ったスギナは、堅い土から出てきたそれと違い、面白いように抜ける。少し大きめの株が取れたときだ。根といっしょに砂利もかなり剥がれた。
そこには目を見張るような光景が繰り広げられる。
何事もなく平穏に暮らしていたワラジ虫たちが突然の大地震に襲われたのである。ひっくり返ったまま足をばたつかせる奴、仲間の背中を蹴るようにして必死で土の割れ目をめざす奴、何が起きたのか理解できないがとにかく右往左往する奴…「くすっ」と笑ってしまいたくなるような慌てぶりだ。罪のない彼らを殺そうとは思わないが、少し可愛そうなことをしたかもしれない。大きいのでも一センチ。彼らにしてみれば、自分の二百倍もの怪獣に突然、家をひっくり返されたのだから、ただごとではない。
逆の立場になれば、何百メートルもある山のようなゴジラに襲われたのと同じなのである。
ワラジ虫だけでなく、小さな蟻や、土の中に住んでいた蜘蛛たちの恐怖や混乱も半端なものではない。
しかしたいしたものである。五分もしないうちに、何事もなかったかのように、そこには乾いた土だけが残るのである。
草の下における、自然界のたくましさだろう。はたして人間ならこうはいくまい。都会にも、そしてちょっとした草わらの下にもしたたかな摂理が存在していることを思い知らさせる。
都会の中の自然と言えば、猫をはずすことは出来ない。頭を低く下げ、肩で歩くその姿はまるで、サバンナをいく豹を想像させる。
彼女たちは、ペットでありながらペットでなく、まさに自立して都会を闊歩する。
僕は昔、二週間ほど仔猫を飼ったことがある。学生寮で生まれたばかりの猫の赤ちゃん。正月休みで誰もいなくなるので、「実家から通っている星野が預かれ」ということになったのである。
朝の六時前から、まだついていないストーブの前で、大の字になって点火をまっている姿は、無性に可愛い。火がつくと、いつまでもそこで、グダグダとしている。
その猫も、人間の都合で「猫可愛がり」をすると怒ったり、すねたりするのだ。
動物の虐待が問題となっている。痛ましい事件も起きた。ペットと飼い主の関係を正常化するために、道もペット条例をつくった。条例の効果は、これから試されることになるだろう。
ペットを可愛いと思うのは、自然だし、それでいい。しかし彼らや彼女らにしてみれば、人間は巨大な怪獣であることを忘れてはいけない。
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