HOSHINOTAKASHI


希望のカボチャ(2000.12/25)


  冬至には小豆を煮、カボチャを入れて食べる。子どもの頃からの習慣だ…、と思いこんでいたが、どうやら記憶違い。関東では、そういう習わしはなく、北海道、あるいは札幌独自の年中行事の一つであるようだ。
  過去の記憶なんて、いいかげんなところがある。他人から聞いた話が、自分の経験のように思えてみたり、移り住んだ土地の習慣が、はじめからのものと思いこんでみたり。
  でも、そのお陰で、人は人と生きていけるのかもしれない。僕も、すっかり道産子である。

  さて今年もあと一週間となった。ということは、二十世紀もあと一週間ということだ。

  僕は一九五一年生まれだから、半世紀を生きたことになる。昔、父親が「二十一世紀まで生きていられるかなー」なんてつぶやいたことがあった。「そんな寂しいこと言わないで」と心の中で返事をしたことが、ときどき思い出される。彼は、もういない。

  「二十世紀を締めくくるに当たって」などと、大胆なことを言うつもりはない。しかし考えてみたら、大変な百年だったのだろう。
  第一次世界大戦、日本のアジア侵略とそれに続く第二次大戦、朝鮮戦争にベトナム戦争。二大大国による冷戦構造は終わったが、今なお地球上の各地で、地域民族紛争が続いている。
  そんな意味では、戦争と殺戮の百年であったとも言えるわけだ。

  遠い未来に人類は、「昔、人間と人間が殺し合う時代があったんだって」などと、過去の歴史を振り返る時代がきっと来るに違いない。
  まもまく始まる二十一世紀は、そんな未来史の幕開けになって欲しいと、心から想う。

  ところで冬至を過ぎてから、日に日に夕闇が遅くなった。昼の短さのピークを超したわけである。この実感は、何とも嬉しい。
  闇の長さの憂鬱から解放されていくことは、これから雪と寒さのピークを迎えるにあたって、それを乗り越えるための勇気が与えられたようだ。

  すこし大げさに言えば、僕にとって冬至のカボチャは、厳しい冬に向かう中での希望の存在なのだ。

  皆様、どうか良い年を、お迎え下さい。

HOSHINOTAKASHI