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花の皿飾り (2001.5/7) |
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道庁の池に、偶然が造ったオブジェを発見した。
池の回りの桜は、ほとんどが遅咲きの八重のため、まだ蕾のままだが、向こう岸に一本、見事なソメイヨシノがあり満開だ。かすかな風に花弁が舞い、それらが池には、ちりばめたように浮いている。
池なのになぜか、一方向にゆったりとした流れがあり、花びらも当然ゆらりゆらりと、漂うのだ。
「あっ」、と声が出た。
きっと去年のものなのだろう、赤茶けた直径20センチくらいのスイレンと思われる葉がいくつもあるのだが、流れに抗して、ひっそりとたたずんでいる。その一つひとつの縁に、まるで港に停泊している小舟のように、隙間なく桜の花びらが取り囲んでいるではないか。周囲を加工した洋皿のようでもある。さしずめ、花の皿飾りと言ったところか。
自然がこしらえたオブジェである。
こんな小さな発見でも、それを見つけたときの喜びは意外と大きい。
高校の英語テキストに、小泉八雲の「怪談」というものがあった。今でもよく覚えている。もちろん日本語訳の方だが。
ある武士が首をはねられる直前、「貴様を呪い続けてやる」と言った。殿様は、「そこまで言うのなら証しを見せてみろ」と応酬する。武士、「はねられた首を、おまえの所まで飛ばして見せよう」と。
果たして、胴体と分かれた首は、ゆらりゆらりと殿様の顔まで飛んで行くではないか。居合わせた一同は、恐れおののくが、殿様は高笑い。
「彼の怨念は凄まじかったが、最後は首を飛ばすことにすべての情熱を注いだために、これで跡形もなくなった」と、その場を去るのである。
夢中になると、人は大きな努力をする。その信念は時として、首まで飛ばすのかもしれない。だが、スピードを上げればあげるほど、視界が狭くなるのと同じように、大切なものを見失いがちになることも忘れてはいけない。
普段、忙しく移動しているときには見過ごしてしまう小さな世界。たまには生活のスピードを緩めて、まわりを見渡す余裕も必要なのだろう。
道ばたに咲く小さなタンポポを見て、「可愛い」と素直に思える気持をいつまでも持ち続けたい。 |
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