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後ずさり出来ないカンガルー (2001.3/18) |
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人はだれも小さいとき、時計の見方を教えてもらう。
長い針を回すと、短い方も少しづつ動く。不思議だった。進めたり戻したり、飽きずに遊んでいたものだ。
時計を覚えるのは、英会話の勉強に似ている。はじめのうちは外人の話を頭の中で翻訳し、日本語で考える。そして再び英語に戻して応えるのだが、慣れてくると、英語で考えるようになるという。
時計も同じである。
子どもの頃に見方を覚えた僕らは、いちいち考えなくても、文字盤を見てすぐに時間を知ることが出来る。それだけじゃない。アナログ時計の場合、逆算も簡単にできる。「お昼まであと十三分か」という具合に。
あるプロゴルファーが言っていた。「ティーグラウンドから前に進むことだけを考えているアマチュアと違って、プロはグリーンから逆算して考える習慣がある」と。
「さすが」と、うなってしまう。グリーンを狙いやすい場所を決めて、そこに打つので、決して無理はしないということだろう。あと何ヤード残すか、という発想は、時計の逆算をしているようなものだ。
デジタル時計は、数字を読むだけだから、見方の練習はいらないが、逆算は苦手だ。
こう考えると、それは、アマチュアゴルファーのようでもあるし、後ずさりの出来ないカンガルーのようでもある。
科学技術はアナログからデジタルに進歩した。だが、人の発想や考え方が、いっしょに進歩したかどうかは、疑問だ。
世の中は今、急速に情報化・電子化が進んでいる。
北海道も「高度情報化促進計画」をつくり、電子道庁づくりを目指している。
暮らしは便利になっていくだろう。
ただ、その時、「人々の暮らし」という目に見える部分にだけ着目するのではなく、内面の変化を見落としてはいけない気がしてならない。
さて僕の場合、頭の中で英語を日本語に訳すプロセスに加えて、辞書を引くという、もう一つ余計な作業が必要だ。 |
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