HOSHINOTAKASHI


私たちは、未来に生きている(2003.4/3)

 あれはテレビだったろうか、それとも漫画雑誌だったろうか。
 ハイウェイがビルの谷間に、網の目のように張り巡らされ、車もタイヤではなくジェット噴射のようなもので飛びまわっている。
 子どもだった僕らは、21世紀の未来を夢に見ながら、ある時は鉄腕アトムに、そしてある時は鉄人28号にと、毎日忙しく漫画の主人公になりきっていた。

 子どもを事故でなくした天馬博士は、科学省長官という立場で、科学技術の粋をつくし、子どもの代わりとしてのアトム製作にとりかかる。お茶の水博士がアトムをつくったと勘違いしている人も多いようだが、彼は育ての親だ。ついに完成。アトムの誕生日は、間もなくやってくる2003年4月7日であった。こうして作者である手塚治虫は、50年後の未来を子どもたちにプレゼントしたのである。

 当時は、遠い未来のはずだった2003年に、いま私たちは生きている。半世紀の科学の進歩はめざましい。だが残念ながらその進歩も、手塚治虫の頭の回転速度にはついてこれなかったようだ。あいかわらず車はタイヤで走っている。
 あるいは聡明な手塚のことだから、いくら50年後でも、原子炉をお腹に装備した人間型ロボットが、「科学の子」として空を飛び回っているとは考えなかったかもしれない。だが、自分が生きている可能性がある時代にアトムの誕生日を設定したあたりが、何とも可愛く、少年の心を持ち続けようとした人間手塚治虫に触れる気がしてならない。

 科学は、両刃の剣である。人間に無限の可能性を約束するかと思えば、一瞬にして歴史から人類の存在を、そればかりか、宇宙史から地球の存在さえも消し去りかねないからだ。

 北海道は、幌延町との間で「監視機関」をつくった。国が同町でおこなおうとしている深地層研究に、放射性物質が持ち込まれないか、あるいは研究終了後に約束どおり埋め戻されるかをチェックする機関である。
 国の計画では、幌延における研究期間は20年とされているが、実際にはもっとかかると思われる。それにもかかわらず、今回「機関」を設置した人たちの中に、現役で残っているケースはゼロだろう。大きな不安を抱かざるをえない。

 原発のトラブルが相次ぎ、国の原子力政策が大きく見直されようとしているその真っ最中に、お尻からウランを食べながら正義のために大活躍するアトムが誕生するというのも、皮肉なものである。

 手塚治虫も、きっとどこかで、「やれやれ困ったもんだ」と思っているに違いない。
HOSHINOTAKASHI