HOSHINOTAKASHI


五月に鳴く蝉 (2001.7/9)


 知床の蝉は五月に鳴く、という話を最近聞いた。
 同じ時期に、オタマジャクシもいれば、蛇も出てくるというのである。

 酒飲みではあるが、嘘やはったりを言うことのない友人の話だけに、とりあえず信じて、その理由を考えてみた。
 知床の春は遅く、そして冬の到来は早い。おそらく蝉やオタマジャクシにしてみれば、活動できる短い期間、「おまえが先だ」とか、「俺の方が早く動き出す」とか言っている悠長なひまはないのかもしれない。

 そういえば二十数年前、「津軽海峡冬景色」を歌いながら初めて北海道にやってきた僕にとって、梅と桜が同時に咲く現実はどうしても受け入れられなかった。花札でも、梅は二月と相場が決まっているが、本道の二月はまさに凍てつく季節であり、花どころではない。

 動植物は、地域の特性に生体リズムさえも順応させながら、そこでしっかりと生き抜いているのである。

 限られた条件の中で、したたかに活動するのは人間も同じだ。

 先日、室蘭の友人Tさんが、先に帰った知人に靴を間違えられてしまった。困った末、閉店直後の百貨店に行き、事情を話す。世の中捨てたもんじゃない、現場責任者と思われる男性が、客のいない店内を四階まで案内してくれた。

 その対応に喜んだTさんは、「手間はとらせません。五分で決めます」と。結果は五分が二十分となり、大きさとデザインを決めるため、そこいらじゅう靴だらけになったのだが、誰ひとり、嫌な顔をしない。

 僕らが感心したのは、帰り道。店内の階段は使えないということで通された、スタッフ専用の裏部屋とそこにあるエレベータの中で見た現実だった。
 後かたづけのため、各階で止まるエレベータには、忙しそうに従業員が乗り降りする。ドアが開くたびにその階の「裏部屋」とその向こうの売場が、鮮やかなコントラストを描きながら、目に飛び込んでくるのである。
 華やかで、ゆったりとした売場と対照的に、「裏部屋」は、ひたすら機能的である。物だけではない。そこを行き来する従業員の顔つきも、店内のそれとは違い、キリッとしまっている。

 普段、目にするすべてのものは、こうした見えないところに支えられているのだ。

 ところで、汗だくになりながら、品物を次々と並べてくれた男性職員は、きっと帰りの時間を心の中で気にしていたに違いない。
 だけど人の趣味は、そう簡単には変わらないのだろう。その後、Tさんが、あのときの靴を履いている姿を、僕は見ていない。

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