HOSHINOTAKASHI


百匹の猫


  猫は猫でも、ミケやタマのことじゃない。日本最南端の島に棲むイリオモテヤマネコのことだ。大昔、地続きだったユーラシア大陸からやって来たが、地殻変動で帰り道が水没し、取り残されたまま独自の進化をとげたものであり、世界中で沖縄にしかいない哺乳類である。
  ところが、生息場所の減少、交通事故、捨て猫などからの伝染病感染などを原因として激減し、今やこの世に百匹(推定)しかいなくなってしまった。
  地球上の生き物は昆虫にいたるまで、いくつもの偶然が重なることによって、しかも何億年という進化の過程を経て、存在しているものばかりだ。それなのに、土足で彼らの家の中に踏み込む人間の行為が、一つの種を絶滅に追いやろうとしている。

  さて、沖縄はサミットの準備一色である。那覇の空港ビルは新築され、埋め立てられた海岸に道路が延び、街路樹が根こそぎ植え替えられている。この騒ぎは一体何なのだろう。

  その昔、東南アジア諸国との貿易によってなりたってきた琉球王国は、武器を持たない平和の民として知られている。ところが江戸時代に薩摩藩によって侵略され、植民地に。その後、明治政府によって「沖縄県」として日本に併合されたのである。第二次大戦後、連合軍の戦後処理によりアメリカの施政下におかれ、昭和47年、日米両政府による沖縄返還協定調印によって「祖国復帰」がなされたわけだ。

  僕は、沖縄について長年感じ続けてきたことがある。
  長い歴史をもつ琉球民族が、薩摩に侵略されて無理矢理「日本扱い」をされてきたにも関わらず、日本を「祖国」と呼び、「復帰」を本当に望んだのだろうか、という疑問だ。昭和20年の沖縄戦では、60万島民のうち、15万人が犠牲になった。上陸したアメリカ軍だけではなく、日本軍に自決を強要された場面も数多くあったという。
  彼らが心から求めていたのは、琉球王国の復活であり、日米両国からの独立ではなかったのか。返還前夜、沖縄世論が「復帰」か「反対」かで大きく分かれていたのを、僕は、はっきり記憶している。彼らは現実の道を選び、「日本になることによって、今よりましな、基地のない生活」を期待したのに違いない。

  あれから28年。世界は大きく変わった。東欧諸国の民主化が進み、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終わり、ソ連さえも消滅した。果たして沖縄は変わったか。沖縄サミットが華々しく準備される背後で、しかしあいかわらず基地の中での生活に苦しみながらも、基地を頼りの経済振興に頼らざるを得ない矛盾の固まりが、今の沖縄といえる。

  話は戻る。イリオモテヤマネコが棲む西表島には、高い山がないため川の流れは、いつも上流から下流へとは限らない。潮の満ち干によって淡水と海水が行ったり来たりしており、そのことでつくられる生態系や景観は、「東洋のアマゾン」と言われるだけのことはある。バスの運転手さんによれば、いないのはピラニアとワニだけだとか。
  素晴らしい自然。素晴らしい沖縄―複雑な、とても複雑な気持ちで札幌に向かった。

HOSHINOTAKASHI